ザッケローニ SAMURAI BLUE監督手記 イル ミオ ジャッポーネ“私の日本”

vol.022011.07.12 UP DATE「引き出しを増やす」

 日本での暮らしが快適なのは代表チームの足取りとも関係があるのでしょう。就任してから、しっかりと成長を遂げている。その手応えを十分に感じています。

 日本に来てから記者会見などで、「日本の選手は上下関係を重んじるから、監督の指示には忠実だけれど、自分から進んで殻を破るようなことはしない。だから自発的に何かをさせるには苦労するのではないか」とか「日本の選手には外国に対してどこかコンプレックスがあるように見えるか」というような質問をよく受けました。

 しかし、今のところ、私はそういう面で苦労や不便を感じたことはまったくありません。少なくとも、これまで代表合宿で私が見てきた50人ほどの選手たちは皆、自信を持っている選手ばかりです。責任を持ってやり抜くという日本の選手の態度は本当に素晴らしいものです。DFたちは攻撃にも、アタッカーたちは守備にも意欲的に取り組んでくれます。「ここから先はオレには関係ない」という態度を取る選手は一人もいません。選手はどんどん積極的に私に意見を述べますし、ピッチ上でも自主性を発揮してくれています。私がそう答えると、聞いた人は皆さん、不思議そうな顔をします。そして「ザックさん、いくらなんでも日本選手を褒めすぎでしょう」「どうしてそんなに風通しがいいのですか」と尋ねてきます。。

 日本の選手を褒めすぎているとは思いません。もともと、コーチを志したきっかけは選手の育成をやりたいと思ったことでした。育成年代のコーチが一番肝に銘じることは長所を伸ばし、短所を隠すことですから、私のコーチとしての資質の中に選手のいい面に目を向ける、というのがあるのは確かでしょう。でも、私の日本選手に対する評価は掛け値なしのものです。

 チーム内の風通しの良さについては、もしそうだとしたら、それは私の指導スタイルが少しは役に立っているのかもしれません。私は、選手との間に一線を引くというより、自分から選手に歩み寄っていく、近づいていくタイプの監督ですから。私には確固たるサッカー観もアイデアはありますが、同時に選手が何を考えているのか、そういう私の考えをどう思っているのか、そこを徹底的に知りたがるタイプの監督でもあるのです。自分のアイデアやコンセプトがどこまで選手の頭の中に入ったのかを確認するためなら、積極的に話しかけるなど、選手とコミュニケーションをとることを厭いません。監督が与えたアイデアやコンセプトを選手がきちんと咀嚼して行動してくれない限り、プレーの精度は絶対に高まらないのですから。

 これはコーチングの対象が日本選手だからそうしているわけではありません。イタリアにいるときからの私のスタイルなのです。
 監督と選手がアイデアを共有するには過程の作業を丁寧にやらなければなりません。監督の最大の仕事は選手の頭の中の整理整頓だとも思っています。「これは必要」「これは不必要」と選別してあげなければなりません

 丁寧に作業するには代表監督に与えられた時間は少ない。どうしてもそこはクラブチームの指導より手薄になってしまう。だからこそ、余計に、監督と選手の間を常にクリアにしておくことが大事だと思うのです。選手というのは代表チームに来るまでに自分が積み重ねてきたプレー、うまくいったプレーを体に染み込ませています。それは貴重な成功体験ではありますが、同時に先入観にもなって、なかなか脇に置けない。新しいアイデアに対して先に拒否反応のようなものが起きてしまう。それを私はいい意味で壊したくなるのです。頭の中をゼロにさせて、オープンにさせて、代表の新しいアイデアを注入し、共有できるようにする。戦う相手の分析より、監督と選手の間に“思考の壁”がないことの方がよほど重要だと思うのです。

 キリンカップでもそこにはこだわりました。6月1日のペルー戦、7日のチェコ戦ともスコアレスドローに終わってしまったために、日本代表がこの2連戦でトライした3-4-3システムともども、あまり収穫はなかったように感じられたファンもいらっしゃるかもしれません。

 今回のキリンカップは結果も大切だけれど、私が目指したのは「引き出し」を増やせるかどうかでした。念頭にあったのはもちろん、9月に始まる、2014年ワールドカップ・ブラジル大会のアジア予選でした。選手が手元に集まらず南米選手権出場を辞退したことで、アジア予選の前に選手と一緒に過ごせるのはトータルで10日ほどになってしまいました。そのうち、長く選手と練習できる機会は今回しかなかった。予選に向けて、引き出しを一つ増やせるかどうか見極めるタイミングはここしかなかったのです。

 ペルー戦は準備に2日しかなかったので大きな成果は出ませんでした。それは想定内でした。次のチェコ戦は中5日あったので、ペルー戦から抽出したデータを元に、選手にポイントを整理して伝えることができた。それを理解して選手は活用できたかどうか。彼らの答えは私にとって、とてもポジティブなものでした。

 足りないものはありました。でも、それは代表チームならある程度、やむを得ないことでした。常日ごろから、一緒に練習しているクラブチームならすんなりいくところが、代表ではうまくいかないことがあるのです。特にアタッキングサードの、突破の局面でスピードアップと精度の両方が同時に求められるところで細かなミスが出ました。ただ、試合前に私が「ここはやってほしいな」と思っていたこと、ポイントの整理・理解は「できているなあ」と感じることができました。それだけでも私には有意義なことでした。「5日間あれば、ここまで出来るのか」というのは本当にうれしいサプライズであり、4-2-3-1というAプランに加え、3-4-3のBプランに「できる」という見極めができたことで本当にトライして良かったと思いました。この短期間でここまで学習して、実践できる代表チームは世界中でも日本代表だけではないかと、今回のキリンカップが終わって思いを更に強くしました。

 私は長いスパンでチーム作りを考えています。相手よりも濃い内容で試合に勝つ、そういうチームにしたいと思っています。

 内容も伴って勝つには引き出しは多い方がいいのです。プレーの選択肢を増やすといいますか。例えば、東京から北海道の札幌に行くとします。移動の手段としてはクルマも電車もバスも飛行機もフェリーもあります。移動の手段としてフェリーしか無い人は海が荒れると行けなくなります。いろんな選択肢があれば、状況に応じてベストの方法を選べる。どちらが有利でしょう。

 私は監督の仕事とは「行き方」も「行き先」も教えられるけれど、できるのはそこまでとも思っています。実際に行き方をチョイスするのはピッチの中で戦っている選手の役目です。

 チェコ戦ではそのチョイスに進歩の跡がありました。選手には「自分の近くにいる人間との連携を意識しなさい」と助言しました。突き詰めていくと、私が思うに、サッカーは、ボールを持っている人間が「ボール」と「ゴール」と「味方」と「敵」を常に見ていないといけないスポーツです。だから「攻撃の時はここを見てくれ」「守備の時のここを見るようにしよう」というポイントを幾つか示したのです。先ほど、監督の仕事は選手の思考を整理することだと言いましたが、それをやったのです。「ここを見ればいいんだよ」と選択肢を整理することが実は選択肢を増やすことにつながる。選択肢が増えると余裕が出てプレーの幅が広がる。幅が広がると逆に簡単にプレーすることにつながる。 チェコ戦の前の練習ではそこを重点的にやりました。

 誤解をされては困るので言い添えておきます。システムを変えてもポイントは変わりません。4-3-3とか4-2-3-1とか3-4-3というシステムはスタートポジションを決めているだけなのです。システムを変える度にやるべきポイントが変わるなどということはありません。「ボール」と「ゴール」と「味方」と「敵」。この4者の関係性を常に頭に置いてプレーすることはサッカーにおいて不変の真理なのです。ですから「システムを変えたから勝てた」「システムの変更が裏目に出た」といった分析をメディアなどで目にする度に私は不思議になります。システムで勝ったり負けたりすることはサッカーにはありません。勝敗を分けるポイントはシステムそのものではなく、システムをいかに理解し使いこなせたか、ということです。

 私が引き出しを増やすことにこだわるのは、日本人の民族性に目を向けている部分もあります。日本には複数のポジションをこなせるユーティリティープレーヤーが非常に多い。それは一般の日本人の仕事ぶりを見ていても感じることです。専門分野に特化し「そこだけ」しかしないというより、いろいろな部署を異動しながら働いている。私の目には日本の人口は約1億3千万人だけれど、1人で3人分働いているので労働人口は3億9千万人の国に映ります。サッカーのゲームにおいても、何にでも対応できるところが、日本代表の特徴になりうると思っているのです。

PAGE TOP