ザッケローニ SAMURAI BLUE監督手記 イル ミオ ジャッポーネ“私の日本”

vol.052011.09.28 UP DATE「9月」

 ワールドカップ・ブラジル大会アジア3次予選に臨む日本の戦いが始まりました。結果は皆さんもご存じの通り、2試合を戦って1勝1分けの勝ち点4。いろいろな意見はあると思いますが、私は悪くない滑り出しだと思っています。
 9月の2試合は二つの異なるチームと異なる条件の下で戦いました。共通するのは朝鮮民主主義人民共和国もウズベキスタンも、日本が次のステップ(最終予選)に進むためには避けては通れないライバルであり、そんな両チームと早速戦えたということです。
 2日に対戦した朝鮮民主主義人民共和国は、場所が日本のホーム(埼玉スタジアム)ということで守備的な策を採りました。自陣に多くの人数を割き、しっかりブロックを作った上でコンパクトにまとまって、日本にスペースを与えないようにしてきました。徹底的に日本の良さを消す作戦でした。それでも日本はたくさんのチャンスを作りました。ゴールは試合終了間際の吉田麻也の1点にとどまりましたが、創り出したチャンスの数は私が監督に就任して以来、一番多かったのではないでしょうか。
 6日のウズベキスタン戦はパフタコール競技場のピッチ・コンディションに苦しみました。日本選手が普段慣れているものより芝が長く、いつもと同じに蹴ってもボールが走らない。スピード感覚の微妙な狂いはパスの精度やパスを交換するタイミングにも影響を与えました。
 また、ウズベキスタン自体の出来も前半は良かった。日本よりコンディションが良くてハイペースで試合に入ってきました。ただ、前半の飛ばしすぎがたたって、後半は徐々に足が動かなくなっていった気がします。一方、日本の選手は優れた持久力を見せて、尻上がりに調子を上げてくれました。前半の失点を後半、岡崎のゴールで挽回しただけでなく、最後の最後まで「引き分けでよし」とするのではなく、勝利を追い求めて戦い抜いてくれた。この姿勢を私は高く評価しています。

 1試合1試合、戦う度に選手に関する情報は、相手チームだけでなく、自分たちについても増えていきます。日本代表についていえば、9月の連戦を通して層が厚くなった手応えを感じました。フィジカルコンディションが万全ではない時でも、忍耐強く戦い抜けるチームだということも再確認できました。
 キャップ数ゼロだったハーフナー・マイクを交代出場とはいえ2試合とも使ったことに驚く論調もあったそうですね。私にすれば、ごく普通の扱いをしただけです。試合のために招集する23人はチームに役立つと思って信頼して呼んでいるのですから。
 「使える」という根拠もありました。そのために私も私のテクニカルスタッフもJリーグをこまめに視察しているのです。テクニカルスタッフからは視察の度に精度の高い情報が上がってきます。ハーフナー・マイクの場合は私もこの目で甲府の試合を幾つも見ています。そうしたJリーグでのプレーに加え、清武弘嗣、田中順也、原口元気、ハーフナー・マイクは8月の候補合宿に呼び、手元に置いていろいろチェックもしました。そうしたプロセスを経た上での起用でしたから、特に心配はしていませんでした。
 これは最初の就任会見でも言いましたが、すべての選手に代表の門戸は開かれているのです。そのために日本国内だけでなく、欧州にも視察要員を送り込んでいるのです。要はすべてが選手次第ということ。リーグでいいコンディションを保ち、コンスタントにいいプレーを続け、代表というグループに入りたい、入り続けたいという野心を示し続けてくれれば、おのずと道は開けるのです。
 一つの分かりやすい例としてACミランの監督時代の話をしましょう。2000年のシーズンが始まる前のことです。ほかのクラブに貸し出していた選手の一人がキャンプの準備に忙殺されていた私のもとを訪ねてきました。そして「監督の本音を教えてください。自分は今、このミランで何番手の選手でしょうか」と聞くのです。私は正直に答えました。「現時点で君はこのポジションで3番目のチョイスだよ。でも、それはあくまでもスタートの位置だから。君が自分の能力をしっかり見せてくれたら変動するかもしれない。それは君次第なんだよ」。彼は「ありがとうございます。家でじっくり考えます」と言って帰っていきました。
 その選手は前のシーズンはトリノにいて、レギュラーになれませんでした。だから試合に出たかったのでしょう。ミランで同じ扱いを受けるくらいなら、もう一度、ほかのチームにレンタルされた方がいいと思って私に相談しにきたのでしょう。
 2日後、再び私のもとを訪れたその選手は「今はレギュラー格のグリエルミンピエトロもアルゼンチンのヒムナシアから移籍してきた最初のシーズン(98-99)は3番手のFWだった。そこから努力して優勝に貢献できるメンバーになった。それを知って私も監督の下でこのチャンスにかけてみる事に決めました」。そう吹っ切れたように話すと、それから20日後にミランの中でポジションを取り、45日後にはイタリア代表に呼ばれるようにまでなりました。彼の名はフランチェスコ・ココ。ワールドカップ日韓大会のイタリア代表として日本にも来ましたから、知っている方もいらっしゃるでしょう。

 さて、イタリア人の私にとって9月は「始まりの月」です。イタリアに限らず、ヨーロッパの国々ではサッカーの新シーズンも学校の新学期もこの月にスタートします。政界も例外ではありません。長いバカンスを終えた政治家がいそいそと議会に戻り、新しい法案作りを始めます。新しい息吹を感じる、何かと騒がしい、落ち着かない月ともいえるでしょう。
 セリエAも始まりました。もちろん、テレビでリーグを見ていますし関心もあります。ひいきにしている特定のクラブはありません。インテリスタ(インテル・ミラノのファン)だったというのは子供のころの話です。今は違います。16歳のころから、いいサッカーをしているチームを応援するように自然に変わりました。イタリアならウディネーゼ、スペインならバルセロナ、イングランドならアーセナルでしょうか。今季のアーセナルは主力の流出で大変な状況にありますが、次々に若手を育てる土壌があるし、結果より内容を重視するサッカー観にも共感を覚えます。

 イタリアで生きてきた私には体内時計というか細胞レベルというか、体に「秋」イコール「始まり」というDNAが刷り込まれているのです。長年、私にとっての9月は、キャンプで構想したチームの絵と現実の齟齬をどう調整、修正しながら、正しい軌道に乗せていくかに四苦八苦する、初動の時期でしたから。
 イタリアでも同様ですが、日本の9月は、うだるような暑さに奪われていたエネルギーが回復し、充電され、力が養われるような充実の時期。頬をなでる風からも湿り気が取りのぞかれて、1日1日、快適さが増していく季節だと思っています。
 日本には、食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋、という言葉もあるそうですね。
 私自身でいうと、サッカーについて考える時間が取られるので、ほかのスポーツに打ち込むことはなかなかできません。ですから、体調の維持管理でいうと、ジムでスイミングをすることと日課の散歩が健康法といえるでしょう。日々の移動で車などを使わずにできるだけ歩くことを心がけてもいます。日本人で私くらいの年代の人はゴルフをされる人が多いようですが、私は残念ながらやりません。

 ヨーロッパのサッカーは新シーズンが始まったばかりですが、Jリーグの方はこれからラストスパートに入ります。ここからエネルギーを蓄えながら優勝争いの渦中に飛び込んでいく。昇降格の戦いも平行して進行する。欧州では最後の力を振り絞るタイミングは「春の訪れとともに」ですから、サッカーにおける季節感の違いとは面白いものです。
 日本ではコメなど作物の収穫と絡んで「実りの秋」という言葉があることも知りました。日本人にとって秋はいろいろまいた種が実を結び、収穫する時期なのですね。Jリーグにも同じことがいえるのでしょう。ここから芽を出し、急激に伸びる若手がいるでしょうし、中堅以上の選手たちも負けず劣らず情熱を燃やしてくれるでしょう。サッカーファンならこの時期を見逃す手はないはず。涼しくなったスタジアムに足を運んではいかかでしょうか。そこで選手に送り込んだ皆さんの熱気は、巡り巡って代表チームにも必ず大きな実りをもたらすのですから。

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