ザッケローニ SAMURAI BLUE監督手記 イル ミオ ジャッポーネ“私の日本”

vol.072011.12.14 UP DATE「2011年を振り返る(その1)」

 12月は私も心待ちにしている「TOYOTAプレゼンツ FIFAクラブワールドカップ ジャパン2011」が3年ぶりに日本に戻ってきます。日本に居ながらにして世界最高峰のレベルのサッカーが楽しめる、またとない機会です。

 各大陸のクラブ・チャンピオンが一同に集うわけですから、チームごとにいろいろなスタイルや文化を目の当たりにすることになるでしょう。各チームにはわれわれが知らないだけで、その国の、そのチームの“お宝”のような選手もいるはずです。そういう違いを認識したり、新たな発見をすることが、こういう大会の楽しみでもあります。
 交代選手がよく活躍することから、私のことを「持ってる男」と評する人もいるそうですが、険しい道のりを乗り越えてこの大会までこぎ着けた各大陸のチャンピオンこそ「持ってる男たち」かもしれません。メッシを擁し、スペイン代表の中核も成すFCバルセロナの前評判が高いのは当然でしょうが、何か予想外のことが起きる可能性も十分にあるでしょう。
各チームが試合に応じて、相手に応じてどんな選手を使い、どんな戦い方をするか、個人的にはそれぞれの戦術的アプローチに関心があります。Jリーグのチャンピオンはどこが出るにしても勇気を持って戦ってほしいですね。サントスやバルセロナのような相手に重心を高く保つことは簡単な作業ではないことは承知しています。しかし、相手の重心を少しでも後ろに傾けてやるというくらいの気持ちで戦ってほしいですね。

 さて、ここからは2011年という年を私なりに2回に分けて振り返ってみたいと思います。
 1年を振り返るといっても、私の場合、さかのぼるべきスタート地点は昨年10月のアルゼンチン戦と韓国戦がふさわしいように思います。新生日本代表は昨年9月のキリン・チャレンジの2試合(パラグアイ、グアテマラ戦)で始動しましたが、私はこの“デビュー戦”をスタンド観戦していました。本当に指揮を執ったのは10月から。いきなり助走抜きで世界有数の実力者であるアルゼンチン、アジアのトップクラスの韓国と当たることになったわけで、船出するにはこれ以上ないくらい難しい相手だったと思います。
 しかし、アルゼンチンを1-0で下し、韓国にスコアレスドローで引き分けたこの2試合を通じて私は、私とスタッフ、選手たちとの間に良好なフィーリングがあることを見てとりました。彼らの潜在能力の高さも感じました。特に選手の技術の高さとチームに尽くす献身的な姿勢はすぐに私を魅了しました。

 その後、代表の日程は2カ月以上の空白を迎えます。でも、その間にJリーグの視察をじっくり行えた。これも有意義でした。Jリーグにどんなチームがあり、どんな監督がいて、どんな選手がいて、どんなサッカーをしているか。Jリーグ全体のリソース(資源)を把握することができました。そこで手に入れた情報は、年が明けてすぐに行われたアジアカップでどれだけ役に立ったか知れません。

 おかげさまで、1月のアジアカップで、われわれは2大会ぶりに日本にカップを持ち帰ることができました。ただ、正直に告白すると、大会前の準備は決して万全ではなかったのです。例えば、2010年12月27日から31日まで大阪で行ったトレーニングキャンプに参加できた選手は9人だけでしたし、天候などの影響で予定されていた全てのスケジュールを消化できませんでした。ただし、後から振り返ればポジティブな面もありました。故障者の代わりで集まった多くの選手を実際に手元に置いて見ることによって、自信を持って森脇良太と永田充をアジアカップに連れていくことができましたし、後に西大伍や原口元気を代表に呼ぶこともできました。そういう、ぶっつけ本番に近い中でアジアカップをどう戦うべきか。頭に浮かんだのは2014年のワールドカップ・ブラジル大会に向けたチーム作りを最優先にすることでした。タイトルを狙うのはもちろんですが、同時に選手を成長させる場ととらえ、これまで出場機会の少なかった選手に経験を積ませよう、と思いました。その結果、平均年齢が25歳という若いチーム編成になったのです。これまでの代表の歴史を築いたグループではない選手たちをあえて抜てきし、彼らが南アフリカのW杯で主力だった選手たちとどう融合するか、どういう統率力や団結力が示されるのか、注意深く観察しようと思いました。

 ケガを抱えたままチームにやって来て、大会直前に離脱した選手がいました。大会中にケガをして去った選手もいます。1月という月は日本の選手にとって、特に本来ならオフに相当する国内組には大変な時期でした。要するにアジアカップはチームをマネジメントするにおいて障害を多く抱えた大会だったのです。
 大会が始まると日本は1戦ごとに強く、たくましくなっていきました。ベテラン、ニューエントリーの選手、代表にはいたけれどそれまでは決して出番に恵まれていなかった選手たちが見事に団結し、全員が戦力になってくれました。貴重なゴールを次々に挙げるなど、ベンチスタートの選手があれほど大きな成果を残した大会はそうはないと思います。
 優勝したアジアカップの勝因を挙げるとすれば、チームの周辺にあった準備面などのいろいろな問題を団結力、統率力がカバーしてくれたということでしょう。それもあり余るくらいに。
 ただ勝ったというだけでなく、アジアカップは新生日本代表のベースというか、礎を築かせてくれる大会にもなりました。団結力を土台に、チームとしての戦術、哲学、アイデアなどに磨きがかかり、完璧とはいかないまでも基礎となるものは十分に植え付けられました。それに合わせて誰をどのタイミングで使っていくかなどの見極めも進みました。
 アジアカップが始まる前にJリーグの視察を通じて私は選手たちの情報を持ってはいましたが、それは「ただ持っているだけ」とも言えました。大会を通じて選手と長期間、同じ場所に寝泊まりし、練習をし、試合を戦う。そういう濃密な時間を過ごすことで、情報に血を通わせることができるようにもなりました。いろいろな意味で本当に価値のある大会だったと思います。

 アジアカップが終わると、私の目はワールドカップのアジア3次予選に向けられました。 3月。新しいJリーグのシーズンが始まりました。3次予選に向け、代表のさらなるパワーアップをもくろんでいるときに、東日本大震災が起こってしまいました。
(つづく)

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