ザッケローニ SAMURAI BLUE監督手記 イル ミオ ジャッポーネ“私の日本”

vol.082011.12.19 UP DATE「2011年を振り返る(その2)」

 1月のアジアカップの優勝を経て、チームからはチャンピオンとしての自信が私にもいい感じで伝わってきていました。私はそれをさらに膨らませることを次の照準に定めました。つまり、レギュラークラスのメンバーをもっと増やしてチーム全体の底上げを図ること、チームとしてのプレースピードをさらに上げることでした。
 チャンピオンになれば、当然のように周りのチームはわれわれを標的にし、丸裸にしてきます。攻撃の特長や守備の弱点を必死に探しにかかります。そういう相手の研究をどう上回っていくか。打開する方法の一つがプレースピードを上げること。そしてもう一つが複数のシステムを身に着ける準備をしておくことでした。
 東日本大震災の影響があり、3月に予定していた2つのフレンドリーマッチは流れ、Jリーグのスケジュールも大幅な組み替えを迫られました。それに連動して代表の日程も変わりました。特に残念だったのが、招待されていた7月のコパ・アメリカという由緒ある大会に出られなくなったことでした。南米最強の代表チームを決めるこの大会にもし、出られていれば、チームとしてのパーソナリティーはさらに磨かれて良くなっていたと思います。ホームで試合をすることが多いわれわれには、なかなか経験できない、過酷なアウェーの場数を踏めたわけですから。

 その遅れを取り戻そうと、試合ごとにテーマというかポイントを絞って、戦うにようにさせました。6月のペルー、チェコとのキリンカップは3-4-3という、日本のベースともいえる4-2-3-1に代わるシステムを身に着ける準備に充てました。8月の札幌での韓国戦は、チームとしての底上げを考えて選手を幅広く集めてミニキャンプを事前に張り、試合では翌月のワールドカップ3次予選をにらんで団結力とプレースピードを上げて戦うことを求めました。これらの3試合はフレンドリーマッチとはいえ、厳しい戦いの中でポイントを絞れた戦いができたと思っています。

 9月から始まったワールドカップのアジア3次予選は正直、厳しいグループに入ったと思いました。前回の南アフリカ大会の出場国が二つ(日本、朝鮮民主主義人民共和国)同居するのはわれわれのグループだけでしたから。予選が始まってみるとウズベキスタンも難敵でした。それを思うと、2試合も前倒しで3次予選突破を決められたのですから、結果に内容も伴った最終予選進出だったと思っています。
 ポイントを絞ったフレンドリーマッチ、タフなアウェーゲームを乗り越えてくれたワールドカップ予選。それらの戦いを通じて選手たちはチームとしてのバリューがどれくらいあるか、分からせてくれました。多くの若い選手たちも着実に経験を積めました。彼らは3年後のブラジル大会までの険しい道のりの中で、もっともっとわれわれの力になってくれるだろうと思っています。

 さて、ここからは少し来年の話をしましょう。
 今年はチームとしてベースとなるもの、礎となるものを築けた1年だったと前回述べました。選手たちは代表に来ることに喜びを感じ、代表のユニホームを着て戦うことに誇りを感じてくれている。これは素晴らしいことです。団結力も試合を経るごとにアップしています。来年はフレンドリーマッチが少なくなってワールドカップのアジア最終予選の厳しい戦いが増えます。それに向けて有益な1年にできたと心から思っています。
 しかし、最終予選の戦いが今年よりさらに白熱したもの、接戦になるのも間違いありません。日本に対して、日本が嫌がることをもっともっと徹底的にやってくるチームも出てくるでしょう。日本は、自分たちのリズム、自分たちのスピード、自分たちのペースで試合を運んでいるときは本当にいいサッカーができる。それは相手も分かっていますから、当然それを壊しにかかるわけです。

 監督就任以来、私がチームに植え付けることを目指しているのは「バランスと勇気」です。バランスが取れたチームとは攻めているときには守りの目配りを怠らず、守っているときにも攻めの一手を考えているようなチームです。
 実際、私が初采配をふるってからの14カ月の戦いを振り返ると、選手は常に自分たちが主導権を握ることを考え、多くのシュートチャンスを作り、相手にはシュートチャンスを作らせないように戦い続けてくれました。チャンスを多く作れたのは勇気を持って前に出て行った証しです。チャンスを相手に作らせなかったのはバランスを忘れずに試合を運んだ証しです。それが16戦も無敗でいられた理由でもあるでしょう。

 それはさておき、これまでの17戦の中で日本が受けに回ったのはアジア3次予選のタシケントでのウズベキスタン戦の前半と平壌で戦った朝鮮民主主義人民共和国との試合くらいでしょう。ただ、そのことを深刻に考えすぎることはありません。不敗記録を止められた平壌での朝鮮民主主義人民共和国戦にしても、アウェーのアジア予選という厳しい条件下で4、5人の選手をチェックする意味合いがありました。チームの中でそれだけ選手が替われば、慣れの問題であるとか、パスを含むプレースピードが落ちるのは仕方のないことです。お互いの距離感も微妙に変わりますから、いつものようにはスムースにはいかなくなります。

 来年以降のことで、現時点でいえることは今の流れをさらに推し進めていくことです。決定力は課題として克服しなければなりませんが、決定機をたくさん創出しないとゴールが生まれないならもっともっとチャンスを作ることです。受けに回って相手にチャンスを作らせないようにするには自分たちのゴールに遠いところからもっともっと厳しく守っていくことです。
 11月の平壌で勝てなかった理由も向こうがいいサッカーをしたとかではなくて、こちらがチャンスを作れなかったからでしょう。向こうのチャンスはセットプレーをゴールに結びつけたあの場面だけでした。
 1試合を通して1回も相手にチャンスを作らせない、というような自惚れ、自信過剰に陥っているわけではありません。チャンスを作られても、それよりも多くのチャンスをつくるということ。それが私の目指すところだということです。

 気のせいかも知れませんが、日本におけるサッカーのプレゼンスが日に日に盛り上がっているように思います。日本代表が愛を持って人々に迎えられていると感じています。町中を見ても広告などサッカーを取り扱うものが増え、街で呼び止められて応援されることも増えています。代表の活躍に加え、香川、長友らビッグクラブでプレーする日本選手が増え、日本サッカーの実力がポジティブに人々に受け止められているおかげでしょうか。
 この14カ月を振り返ると、日本代表は私が練ったプログラミングに沿って着実に成長を遂げている、という手応えがあります。チームの出来、成長のスピードにも満足しています。来年はこの成長をさらに加速させたいと思っています。

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