ザッケローニ SAMURAI BLUE監督手記 イル ミオ ジャッポーネ“私の日本”

vol.122012.05.10 UP DATE「地獄で仏」

 4月は欧州視察と国内ミニキャンプの月でした。
 ある意味で視察、キャンプ、双方の目的は同じです。選手たちの試合を見て観察し、現況について直接、選手と会って話し合い、コミュニケーションを深める。一緒に集まって練習するという部分を除けば、構造は同じです。特に今回は国内で3日間のキャンプの実現に協力してくれたJリーグ、Jクラブ、JFAの関係者にお礼を述べたいと思います。タイトな日程の中で代表を強くするために3日間という貴重な時間を絞り出してくれた。本当にありがたいことでした。
 視察については今年の1月以降、代表のスタッフの誰かしらが入り代わり立ち代わり、欧州に足を運び、スカウティングを継続しています。これだけ欧州組が増えると私一人ではとても全体をカバーしきれません。短期の視察では全員を見ることはできませんし、選手には好不調の波があり、視察の間、目当ての選手が試合に出る保証もありません。選手の状況をしっかり把握するにはある程度の期間、選手を定点的に観測する必要があるわけです。
 ただ、その視察する“目”にばらつきがあっては現状を正しく把握できません。そういう意味では今の代表スタッフには全幅の信頼を置いています。みんな、私と同じ“目”を持った頼もしいスタッフ達です。

 今回の視察はドイツを中心に行いました。時間が限られているのでミドルウィークにも試合がある週を選び、日本人同士の対戦が見られるカードを優先的に選びました。おかげで岡崎慎司、酒井高徳、細貝萌、香川真司、長谷部誠、吉田麻也、カレン・ロバート、ハーフナー・マイク、安田理大らを集中的に観察し、コミュニケーションを深めることができました。
 最初に見たのは4月7日、宮市亮のいるボルトン―フルハムでした。英国へ旅立つ前、ちょうど私の妻が日本に居たのでヨーロッパの経由地まで一緒に帰ろうかと思いました。しかし、どうしても都合のいい便が見つからず、妻はローマ経由で自宅に戻り、私はミュンヘン経由でマンチェスターに向かいました。日本に“単身赴任”していますから、こういう時くらいは“奥さん孝行”するのが筋だと思うのですが、どうしても仕事を優先せざるを得ませんでした。
 10日にアウグスブルク―シュツットガルト、11日にドルトムント―バイエルン、12日にフェンロ―フィテッセ、14日にウォルフスブルク―アウクスブルクという行程でした。日本選手の多くはルール地方と呼ばれるところにたくさん集まっていますので、デュッセルドルフを起点に動くことにしました。ドイツ国内の移動はほとんどクルマですませました。

 ドイツでいつも感心させられるのはスタジアムまでのアクセスが非常にいいことです。スタジアムに至るまでの道路は整備され、スタジアムにたどり着いてからのチケットの受け渡し等も非常にスムーズ。ドイツは2006年のワールドカップ開催を機にスタジアムの新設、改修に多額の投資がなされました。サッカー専用のスタジアムが増え、それがサッカー観戦環境を劇的に向上させました。どこに座っても本当に試合がよく見える。ドイツは、ワールドカップの果実を今、最も感じる国といえるかもしれません。
 ハード、ソフトの両面でスタジアムが快適だからサポーターも非常にリラックスしています。無用なストレスがたまらないのですね。だから試合を100%楽しむことに集中できる。
 観戦者としてブンデスリーガ唯一の不満は気候でしょうか。4月というのに訪れたところはどこもまだまだ寒かった。逆に言うと、寒さくらいしかアラが見つからないということなのですが。
 ドイツのスタジアムは食事も充実しています。スタンドのメインスタンド側には、メインスタンドのお客さんが全員入れるような巨大なビュッフェが普通にあります。こういう施設がない国ではサッカーのスタジアムは観戦するためだけの場所になってしまう。ドイツは違います。試合の何時間も前から来て、試合前に、ハーフタイムに、試合後に、まさにしっかりと食事を取れる場所なのです。料理の内容もしっかりしています。もちろん、ドイツですからその間、ずっと片手にはビールが握られています。食べる以上に飲んでいるというか(笑)。ビールの消費量だけでも相当なものでしょう。
 スタジアムとその周辺の整備、刷新がなかなか進まないことは我が祖国イタリアでも問題になっています。私の数少ない経験を元にした早とちりかもしれませんが、飲食も含めてスタジアムで試合観戦を楽しむドイツの習慣は、日本ではプロ野球ファンの楽しみ方に似ている気がします。
 試合後のビュッフェには選手がやって来て、年間シート購入者たちとの交歓風景も普通に見られます。有名選手が来たからといってファンが群がるわけでもありません。こういう質実なところもドイツらしいと思いました。

 ナイトゲームで行われるミドルウィークの試合で困るのは、試合後、スタジアムで選手と話しこむと、仕事が終わって街に戻ったころにはすっかり遅くなってレストランが閉まっていることです。結局は空いているところに入る感じになってしまいます。デュッセルドルフなら日本人のコミュニティーがあってレベルの高い日本食が夜遅くでも食べられるのですが…。
 後から知ったことですが、デュッセルドルフにはケルンの鄭大世もよく来ているらしいですね。私が街を散歩しているのを彼に目撃されたそうです。すれ違ったときに彼があいさつをしてくれようとしたのに、こちらが気づかず、挨拶ができずに残念でした。


 ウォルフスブルクの視察が終わった後、今回の旅で一番つらい出来事が待ち構えていました。深夜に渋滞に巻き込まれながらベルリンに3時間くらいかけてクルマで戻りました。翌日の早朝、飛行機でローマに戻りました。イタリアに着いて少しはリラックスできると思ったら、空港に迎えに来てくれた友人のクルマが、キーを差してもぴくりとも動かない。バッテリーが上がってしまったのです。広い駐車場にはほかにクルマが2台くらいしかなくて人影もない。私たちは誰にも助けを求められず、45分ほど立ち往生しました。
 そこに偶然、通りかかったのがリッツィテッリでした。チェゼーナやローマ、バイエルンでも活躍したアタッカーです。たまたまボローニャでセリエAの解説の仕事があって、その帰り道だったのです。うれしいことに、彼はバッテリーとバッテリーをつなぐケーブルを持っていたのです。
 ただ、そのつなぐ作業も骨が折れました。友人のクルマは駐車場の一番隅にとめてありました。右側は壁、左側には大きな柱があり、友人のクルマの横にリッツィテッリのクルマを並べることができません。皆で一緒に手押しで友人のクルマを大きく動かし、友人のクルマと彼のクルマを直角になるようくっつけてやっとケーブルをつなぐことができました。 冷や汗をかいた後は本当の汗まみれになりました。それでもリッツィテッリに会えたことは不幸の中の幸運でした。「パラディソ イン インフェルノ」。日本では「地獄で仏」というそうですね。まさにそうでした。

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