2012.06.28 UP DATE「向上とキープのセオリー」
先日、日本代表監督としての新たな契約を結びました。代表監督という初めての挑戦、異郷の地での暮らしという初めての経験。どちらも有意義な時間を過ごせている私にとって本当にうれしいニュースです。私も2014年のワールドカップ・ブラジル大会までは日本の指揮を執り続けたいと思っていました。今回の契約はまさに「相思相愛」の所産といえるのではないでしょうか。
6月3日から始まったワールドカップ・ブラジル大会アジア最終予選で日本は6月の3連戦を2勝1分けで滑り出すことができました。3日のオマーン戦、8日のヨルダン戦はホームの埼玉スタジアムで戦って3-0、6-0と勝利。12日のオーストラリア戦はアウェイのブリスベンに乗り込んで1-1の引き分け。率直に言って、オーストラリア戦も勝てた、という気がするので決して納得はしていませんが、この3連戦で選手、スタッフが示したチームと勝利に対する献身にはとても満足しています。
聞けば、10日間で3試合という移動も伴うタイトな日程は過去の最終予選にはなかったとのこと。今回の3連戦でとにかく心を砕いたのは選手の「頭」と「体」にどうアプローチして、それぞれの試合に最高の状態で臨ませるか、でした。
試合を見れば、その目的はある程度達成できたように思います。しかし「どうやって?」という質問はしてほしくない。私にも実はよく分からないからです(笑)。
そう冗談交じりに言いたくなるくらい難しい作業でした。選手の合流のタイミングはばらばらでモザイクを作っているかのようでした。5月上旬にリーグが終わった海外組の中にはフィジカル中心の自主トレを始めた選手がいました。海外組でも吉田やハーフナー・マイクのようにプレーオフに回って5月23日のアゼルバイジャン戦を欠場した選手がいる。モザイクの最後のピースは5月30日にAFCチャンピオンズリーグの試合があった酒井、権田、高橋の3人でした。ようやく全員がそろったのは初戦の3日前というありさまでしたから、私の心配は決して取り越し苦労ではなかったはずです。
そういう困難を乗り越えられたキーはなんでしょうか。
練習では修正点を集約して取り組ませました。あれもこれも、では選手が消化不良に陥ってしまいます。また、戦い方は「インテンシティ」という言葉を使って、とにかくハイテンポで、かつ精度の高い技術とオフ・ザ・ボールの動きを組み合わせることを強調しました。それでこそ、どんな国と戦っても堂々と渡り合える、日本らしいサッカーになるからです。
選手が集まるタイミングはばらばらでしたが、全体を通して10日間近い準備期間をもらえたのはやはり大きかったと思います。試合の1、2日前に選手が駆けつけた3次予選最後のウズベキスタン戦とは違いました。シーズンの最中に日本代表に合流する選手には所属クラブの監督に課されたタスクが体の中に入っているものです。その状態で私に違うタスクを課されても、選手だってモノを右から左に動かすようにはできない。私の方も口頭で選手に注意を促すのが精いっぱいになります。しかし、1週間とか10日の準備期間があれば、反復練習でやってほしいことを体に染み込ませることができます。代表では、このわずかな日数の違いが本当に大きな結果の違いも生むのです。
フィジカル、タクティクスの練習がうまく運んだのは確かですが、私は今回の成功の真因は選手たちの素晴らしい姿勢にあったような気がしています。5月25日から始めたキャンプでそれぞれの試合に合わせたトレーニングと情報提供を組み込んでいきましたが、選手たちはそれらを貪欲に受け入れてくれました。
普通、大の男が3週間も寝食を共にすれば、一緒にいることに確実に飽きてくる兆候があちこちに表れるものです。ところが、今のメンバーは本当に仲が良くて、気持ち良く生活しているのが手に取るように分かります。また、ちょっと褒め過ぎかもしれませんが、代表に来る度に「今回が初めて」というような新鮮なモチベーションで臨んでくれる。この結束力、姿勢こそ、成功の土台だったと思います。
どうしてこんなにコミュニケーションが密なのか。これは私の推測ですが、今のチームは海外組と国内組が半々くらいで、双方が互いに知らない情報を持ち寄っていることが大きい気がします。伝えたい、聞きたい話題が双方に豊富にあって、それらを交換しているように見えます。ランチやディナーの後も、選手たちはすぐに部屋に戻るより、かなり長い時間、食事会場に残っていろいろなことを和気あいあいで話し込んでいます。
このような結束力の保つためには健全な競争が不可欠なのでしょう。試合に出るメンバーも出ないメンバーも今はモチベーションが高い。もし、控えに回る選手が腐ったような態度を取ると、試合に出るメンバーは手綱を緩めてしまうものです。「こういうヤツには負けない」と。今は、すぐ後ろに競争相手がうずうずしながら出番を待っているので、うかうかできない状況にあります。競争が健全であれば、先発する選手、ベンチに回る選手の間に溝は生まれない。その健全さを保つのも監督の仕事でしょう。
6月の3連戦は先発を固定しましたが、それは流れの中でそうなっただけで、私自身はメンバーを固定しているつもりはありません。宮市や高橋の招集が象徴するように今後もたくさんの選手にチャンスを与えながら結果を求めようと思っています。
埼玉での最初の2試合に限っていえば、非常に心強い味方がいました。良く整備された美しいピッチと満員のサポーターです。我々のようにスピーディーにプレーすべきチームにとってピッチは最重要項目です。ブリスベンの試合はこの部分が欠落していました。
サポーターの力は、もはや言うまでもないでしょう。サポーターの後押しなくして、あのゴールラッシュはなかったと思います。日本のサポーターは自分たちの思いを素直にピッチに伝えてくれる。強い思いをしっかり伝染させてくれるので、選手も強い気持ちで、プレーで応えようとします。
ただし、予選全体という視点に立てば、まだ8試合のうちの3試合が終わっただけ。勝ち点7の1位という数字を手にはしましたが、ただそれだけのことです。
ここで、皆さんに知ってもらいたいのは「向上とキープのセオリー」です。常に向上を目指せば、少なくとも現状は維持できます。しかし、現状の維持に走れば、必ず下降が始まる。スポーツに限らず、これは世の道理だと私は思っています。
オマーン戦、ヨルダン戦と同じくらい内容が良かった試合として、私は昨年8月の札幌での韓国戦を挙げることができます。ただし、あの試合が良かったのは前半の30分まででした。30分でエンジンを自ら切ってしまった。高いインテンシティでプレーを続けることに不慣れで、先を考えて自分でアクセルを緩めた部分もあったでしょうし、相手が韓国なので大勝するイメージを持てなかったのかもしれない。いずれにしても、もっと先があることに気づかないとそこで満足する現象が出てしまう。
オマーン戦、ヨルダン戦は「キープ」ではなく「向上」を試合の中でも選手は目指し続けました。高いインテンシティでやり続けること、やり続けながらやり抜けることに気づいてくれました。これは韓国戦にはなかったものです。
埼玉の2試合は結果だけを見れば快勝、大勝しましたが、サッカーには試合が始まる前から簡単な試合などありません。フィリピン、ベトナム、ブラジル、ドイツ、相手がどこでもそうです。試合を難しくするのは大抵、自分たちです。自分たちはどういうコンディションなのか、みんなのチャンネルは一つになっているか。もし、チャンネルがばらばらだとベトナムが相手でも試合は難しくなります。コンディションが整って、みんなのチャンネルが一つになっていれば、ブラジルとの試合でも簡単になるかもしれません。
結局、一番の悪は勘違い、ということ。ですから、9月のアジア最終予選第4戦、イラクとの試合に向けて選手を集めたとき、私は選手に「勝ち点7は忘れろ。ゼロから始めよう」と話すと思います。日本が1位にいる順位表も忘れさせるつもりです。
ただし、1位、勝ち点7を手にする過程で、自分たちがどんな準備をしかた、どんな心構えで臨んだか、何を試合で心がけたか、そのプロセスだけは何があっても忘れさせるつもりはない。自信を持つべきは、順位や数字ではなく、たどったプロセスそのものにあるのですから。今の選手たちは、そこは分かってくれていると思いますし、確かなプロセスから紡いだ自信はこの後の試合に向けても、引き続きつないでいきたいと思います。