2013.3.22 UP DATE「20周年」
日本に帰ってくる楽しみの一つにJリーグがあります。海外組が多くなったといっても日本サッカーの礎がJリーグであることに変わりはありません。「これは」と目星をつけた選手が、シーズンがあらたまってどれくらい成長しているか。選手の移籍が行われた中でリーグの勢力図がどう変わるのか。そういう期待感や関心を胸にJリーグをチェックするのはとても楽しいことです。
そんなJリーグが1993年のスタートから今年20周年を迎えました。Jリーグができてからの日本サッカーの急成長ぶりは私よりも、むしろ読者の皆さんの方が詳しいと思います。あえて私見を述べるなら、Jリーグの最大の貢献は選手の育成に大きな刺激を与えたことではないでしょうか。日本サッカーは大学も含めて選手の育成がとてもうまくいっていると思います。その育成の一応のゴールとしてプロリーグという明確な目標が設定されたこと。これがどれほどの指導者や子供たちを励ましてきたことでしょう。プロになった選手はJリーグでもまれ、経験を積むことで、よりレベルの高い外国のリーグに挑戦できるようにもなりました。どんなに海外組が増えたといっても、Jリーグで成功を収めずに、いきなり海外挑戦するのはリスクが大きい。外国のリーグで戦える準備をしっかり整えられるという意味でも、そういう育成の大きな流れを支えるJリーグの価値は計り知れないのではないでしょうか。
日本サッカーにとって大きなターニングポイントになった1993年といえば、私はSSCヴェネツィアの監督をしていました。新シーズンはボローニャFCに職場を変えましたが、11月には更迭されてしまいました。そのとき、Jクラブか日本サッカー協会が電話をくれていれば、もう少し日本に早く来ていたのに、と思うと残念でなりません。当時のJリーグについて「何か思い出は」と聞かれると、正直なところ困ってしまいます。そのころのセリエAといえば、世界中から集められたスター選手がしのぎを削る、世界最高峰のリーグでした。そんなリーグが身近にあるのですから、当時のイタリア人はほかの国のリーグにほとんど関心を持たなかったのです。
当時のイタリア人はイングランドのプレミアリーグにもドイツのブンデスリーガにもリーガ・エスパニョーラにも等しく関心がなかったのですから。「セリエAは最高」と疑いなく信じ、チャンピオンズリーグで対戦するときくらいしか、他国のチームに興味を持たなかったのです。唯一、そういう時代でもスペインのレアル・マドリードだけではその格式と伝統から一目置かれていましたが。イタリアから、1990年ワールドカップ得点王のスキラッチがジュビロ磐田に、94年ワールドカップ準優勝メンバーのマッサーロが清水エスパルスに行くようになっても、イタリア人の視線がJリーグに向けられることは少なかった。そうやって外に目を向けることを妨げるくらい、イタリア人のセリエAを愛する心、ひいきのクラブを愛する心は偏愛といえるくらい強いものなのです。
もっとも、最近は少し様子が変わってきました。例えば、新興のオーストラリアリーグに活躍の場を求めたデルピエロの様子はイタリアのテレビ局が追いかけて随時リポートしています。これはイタリア人も徐々にではありますが、ほかの国にも目を向けるようになった実例だと思います。そのこと自体は歓迎すべきことですが、そういう現象をセリエAの相対的な地位の低下と関連づける人もいます。昔ほどセリエAが魅力的ではないために目が外に向くようになったのではないかと。確かに、外国の有名選手がセリエAではなく、トルコやロシアのリーグでプレーすることをチョイスするなど、ちょっと前なら考えられないことでした。セリエAの地盤沈下をどう食い止めるか。真剣に考えるべきところに来ているのでしょう。
話をJリーグに戻しましょう。選手育成に与えた刺激とともに、私がJリーグで評価するのはプロのリーグとして運営が非常にオーガナイズされている点です。外国のリーグのいいところを、どんどん学び、吸収してJリーグにうまく取り込んできたおかげでしょう。今後のさらなる発展を考えたとき、そういう外から学ぶ姿勢は大事にし続けた方がいいと思います。学びの対象は、教師としても反面教師としても、欧州にたくさんの実例があります。大いに参考になるはずです。例えば、今のイングランド・プレミアリーグの隆盛は海外からの投資を積極的に呼び込む施策を採ったことと関係があるでしょう。そのことによる功罪は両面あるのでしょうが、大量に流れ込んできたロシアやアラブのマネーが今の活況を下支えしているのは確かでしょう。ブンデスリーガの素晴らしさはハード面の充実です。サッカー場が単に試合を見る場所ではなく、1日滞在して家族や友人と楽しく過ごせる娯楽施設になっています。リーグとクラブが足並みをそろえて繁栄していこうという強い姿勢も打ち出しています。その健全性に引かれてヒトもモノもカネも選手もファンも集まっているのだと思います。スペインは、選手の年俸にかかる所得税の税率がイタリアの半分ほどしかありません。そういう方向からのバックアップの仕方もあります。
逆に、海外からの投資を呼び込むことに消極的だったり、ハード面の更新が進まずに「サッカー場は不便で危険な場所」というイメージがいまだに払拭できていないリーグがあります。どこ、というのは言わずもがなでしょう…。ただし、リーグやクラブの経営が厳しい状況に追い込まれても、イタリアの監督、コーチ、選手の質はどこにも劣っていないという自負はあります。ピッチの中のノウハウ、知見の部分はまだまだ十分に戦える。一昔前までイタリア人の監督は国内で働き続けるのが普通でしたが、今は自国の外にどんどん出るようになりました。ここ10年、20年でイタリアの代表チームやクラブの名声を押し上げた監督たちの多くは今、国外にいます。2006年ワールドカップ優勝監督のリッピは中国の広州にいるくらいですから変化は急です。日本の選手に海外組が急増しているように、サッカーの世界は変化がとても激しい。その変化の先に待っているのは、いい話ばかりとは限りませんが、変化に対応せずに同じ場所にとどまるリスクの方が大概大きいのではないでしょうか。そういう私も外国で働くイタリア人監督の一員です。ピッチの中での勝負なら、イタリア人監督はどこにも引けを取らないという言葉を実践しなくてはなりませんね。
その試金石となる試合が目前に迫っています。26日のヨルダンとのワールドカップ・アジア最終予選の6戦目です。勝てば、来年のブラジル大会の出場権を文句なしに手に入れることができます。いま、チームと私はカタールのドーハでキャンプ中です。18日の集合最初のミーティングでは「ここからヨルダン戦に集中していこう」と呼びかけました。ヨルダンには昨年6月の対戦で勝利しました。結果として6―0というスコアになりましたが、選手にも私にも油断はありません。ヨルダンは歴史的大敗に対して心理的なリアクションを起こしてくるでしょう。悔しい気持ち、リベンジ、名誉挽回、そんな覚悟を持って日本に襲いかかってくるに違いありません。
アジア予選の日本代表の戦いを振り返ると、ホームとアウェーで内容に差があるのは確かです。ホームなら圧倒的なサポーターの声援があり、周囲の期待をダイレクトに感じられます。それに背中を押されている部分はあるでしょう。一方、アウェーでは最初、様子見から入ることが多く、後手に回る傾向があるように感じています。いろいろな要素が絡んでいるので「これが原因だ」と特定はできませんが、ピッチの大きさもルールも変わらないのだから、アウェーでもホームのような内容の試合をすることは今後の克服すべき課題だと思っています。
ヨルダン戦も同じことがいえます。アウェーの悪条件を乗り越えて、われわれが持っている力をどれだけ出し切れるか。私は選手に6―0というスコアのことは見るな、というつもりです。結果ではなく、6―0という結果に至ったプロセスを注視しろ、というつもりです。埼玉スタジアムで戦ったときのわれわれは意外性とスピード豊かな連続攻撃で攻め続けました。ヨルダンはそれにまったくついて来られなかった。何をどうすれば日本に有利になるか。ヨルダンは日本の何を嫌がったのか。そこをもう一度冷静に見直し、考えなら試合をしてほしいと思います。試合には一つとして同じストーリーはありません。同じプロセスをたどっても同じ結果になるとは限りませんが、正しいプロセスをたどることが、勝利に近づくための一番の方法ではあるでしょう。