ザッケローニ SAMURAI BLUE監督手記 イル ミオ ジャッポーネ“私の日本”

vol.282013.9.5 UP DATE「トータルフットボール」

9月に行われるグアテマラ戦とガーナ戦は、年内に日本代表が戦う国内最後の試合になるかもしれません。10月に続いて11月に定められている国際マッチデーも海外で戦うことになりそうだからです。国内のファンの前で恥ずかしい試合はできませんが、ここからは目先の勝利に一喜一憂するのではなく、よりチームの成長に比重を置いた戦いを選手にさせるつもりです。

来年6月、ブラジルで行われるワールドカップで日本代表にどういう戦いをしてもらいたいか。人によって意見はさまざまかもしれませんが、私の考えはいたってシンプルです。ヨーロッパでも南米でも、代表でもクラブでも、今現在、成果を上げているチームには共通点があります。全員が一丸となって攻守に戦っていることです。昨シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝を戦ったバイエルン・ミュンヘン、ドルトムントはその象徴的な例でしょう。バイエルンにしてもドルトムントにしても攻撃にクオリティーを発揮する選手が自分のクオリティーを見せつけるだけでなく、チームの一員として守備の役割もしっかりこなしていました。日本代表が目指すところもまったく同じです。

その様子は映画にたとえると分かりやすいかもしれません。映画を見に行く時にキャスティングは非常に重要な要素でしょう。メーンキャストにスターが3人、4人といれば、それだけで映画館に足を運びたくなる。しかし映画を見終わった後に食事でもしたら、話題に上るのは、やはり作品自体の良し悪しではないでしょうか。いくら自分の好きなスターが出ていてもストーリー自体が陳腐であれば「つまらなかった」ということになると思うのです。これと同じことがサッカーにもいえます。ストーリーが映画の肝なら、サッカーはスタイルが命なのです。いいストーリーの中に置いて初めてスターが輝くように、チームのスタイルがきちっと定まっていてこそ選手も精彩を放てるのです。個々のクオリティーと全員で攻めて全員で守るというスタイルがバランスよく融合してこそ、チームという作品は高みへとたどりつけるのです。

練習時間の制約など条件に差があって、クラブチームのストーリー作りとアプローチが異なるのは、世界中の代表チームの宿命でしょう。私も、代表のチーム作り、という点では、実はある種の“あきらめ”をスタート地点にしています。クラブチームのような完璧なまでに作り込んだチームを代表で実現するのは難しいかもしれません。しかし、こうした厳しい制約の中でもミスの少ないチームを作るのは来年のワールドカップまでに十分に可能だと思っています。そのためにもインターナショナルな経験をこれからさらに積ませるつもりです。6月のコンフェデレーションズカップのイタリア戦など内容的に圧倒しながら勝てなかったのはチームとしての国際経験不足以外の何ものでもないのですから。秋以降、海外遠征に出るのはそういう部分を改善するためです。ホーム、アウェーを問わず、いろんな場所で、いろんなタイプのチームと来年夏の本番まで試合を重ねて弱点を改善していくつもりです。

プロサッカーの歴史が100年以上ある欧州や南米と比べると、現在の日本サッカーは、たとえるなら、若い選手に似ています。将来を嘱望され、実際に大成した選手には共通点があります。焦ることなく日々こつこつと実力を蓄えていき、着実に成長していったということです。心身の準備が整わないまま何かの拍子に急にブレークした選手ほど落ちる時も速い。無理に背伸びして大きく成長しようとすると失敗した時は自信も失いやすい。なかなか立ち直れない。企業ならシェアを拡大するために同業他社と合併するとか買収という手法もありでしょうが、サッカーではそういうわけにはいきません。結局は日本のサッカーも日本の選手も、遅々として進まないように見えても、地道に努力を続けることが成長への一番の近道だと思うのです。

6月のコンフェデ杯、8月のウルグアイ戦と、日本代表は世界の強豪と対戦した時に大量失点する試合が続いています。そのせいで日本代表の、特に守備陣への風当たりが強くなっているようです。8月29日の代表メンバー発表の際にも述べましたが、私は「世界中から好きなディフェンダーを誰でも選んでいいよ」といわれても、今のメンバーをチョイスするでしょう。それほど彼らに対する信頼は揺るぎないものがあります。確かに、私が選ぶディフェンダーには守備より攻撃に特長がある選手がいます。しかしセンターバックについては攻撃も守備もできる選手を選んでいるつもりです。彼らには欧州のクラブに連れていってもしっかり働けるクオリティーがあります。

では、どうしてコンフェデ杯やウルグアイ戦で大量失点してしまったのか。一つにはコンディションの問題がありました。体が思うように動かないと、どうしても守備の連動にムラが生じます。トータルフットボールはチーム全員が連動して守ることが大前提で、文字通りチーム一丸となって相手が使えるスペースを制限してコンパクトに戦わないと稼働しません。そういう意味でコンフェデ杯やウルグアイ戦は統一感のある戦いをするには条件的に難がありました。アジアレベルではミスをしても相手がその隙を突けないことがありますが、ブラジルやイタリア、ウルグアイは「そういうミスをするなら遠慮なく突くよ」というチームでもありました。現代のサッカーでは失点は最終ラインの責任だけではありません。いくら強固なディフェンス陣でも、ほかのパートとコラボレーションできないとイタリアやブラジル、スペインでも失点してしまう。守備のバランスとコンディションは密接に絡んでいて、どちらが欠けてもほころびをつくります。2つ欠けるともっとひどいことになります。それを防ぐには、しっかりと準備期間を取ってコンディションを整え、チームとしての擦り合わせの時間を持つことです。それができれば、必ず守備は良くなると思っていますし、高めていく自信が私にはあります。

監督という仕事は現象面にとらわれては務まりません。数字だけに目をやって悲観的になることもありません。ブラジルに3点も取られた、このメンバーではダメだ、最終ラインを全員入れ替えよう、という思考回路は持ち合わせていないのです。そういう心配の仕方をしていたら、ブラジルに4失点したイタリアは日本よりもっと心配しなければならなくなります。そういう一喜一憂をしないために試合後の分析も「勝った」「負けた」から入るのではなく「何が起きたのか」「何ができたのか」「何ができなかったのか」から入るようにしています。局面や細部の分析を下から積み重ねて「だからこういう結果になったのか」とたどりつくよう心がけています。勝敗という結果から入ってしまうと、勝った時はいいことしか、負けた時は悪いことばかりに目が行ってしまうものです。

前にも述べたことがあるかもしれませんが、私は大言壮語するタイプの人間ではありません。セリエAの監督時代も一度も開幕前にメディアやファン前で優勝を宣言したり約束したりしませんでした。シーズン中はケガ人が出たり、選手のコンディションが急激に落ちたり、思いも寄らぬことが次から次に起こります。戦う相手がいる競技でもあります。自分たち次第でどうにかできる競技なら何を広言してもいいですが、不確定要素がこれほどたくさんあるスポーツで軽々に結果を約束するのは監督として逆に無責任に思えてなりません。それを自信の無さと解釈されるのは心外です。私は長い監督のキャリアの中で何度か優勝を経験していますが、それは選手が地道に努力を重ね、成長した結果であって、シーズン前の言動が影響していたわけではないと思います。

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