大器晩成という言葉があるが、中村憲剛も例外ではない。川崎フロンターレMFが代表初招集を受けたのは2006年ワールドカップの3ヶ月後、イヴィチャ・オシム監督が就任してからだった。それ以降、巧みな技術を持つ29歳は日本代表でお馴染の顔になっている。
他の多くの選手と違って、西東京地区出身の彼は高校時代に特別目立つ活躍をしていたわけでもなく、ワールドカップ予選に自分が出ることなど、考えもしなかったと言う。2000年3月にフロンターレでプロ選手としての歩みを始めると、Jリーガーとしてだけでなく代表メンバーとして、成長を続けてきた。フロンターレが06年、08年、09年にJリーグ2位、07年と09年のAFCチャンピオンズリーグでベスト8になったのも、彼のパフォーマンスによるところが大きい。昨年はAFC年間最優秀選手最終候補の3人に名を連ねた。中村憲剛が自身のキャリアと代表、ワールドカップについて語った。
Q:最初にワールドカップという大会を知ったのはいつのことでしたか?
1986年大会ぐらいからテレビで観ています。最初に観た時、僕は6つでしたけど、マラドーナがすごかったのを覚えています。90年も94年も観ていたし、日本の予選もみていたので、「ドーハの悲劇」の時もテレビで観ていました。最後の瞬間はショックで崩れ落ちました。本当に悔しかった。
ワールドカップはテレビで観ることばかりだったですし、ワールドカップ予選にも自分が出て、出場を決めた試合に出たりするなんて思ってもみなかった。4年前の自分に言ったら、「うそだろ?!」とか言っていそうな感じです。
Q:特に記憶に残っている試合や選手はいますか?
1994年大会のロベルト・バッジオですね。決勝でPKを外したのも絵になっていて、優勝したブラジルよりも(注目と話題を)持って行きました。バレージが大会中に大ケガをしたのに、終盤で復帰して…。1998年フランス大会も、日本が初めて出た大会で注目していましたし、ブラジルとオランダの決勝トーナメント(準決勝)とか、すごく面白かった。当時は学生だったので、ビデオに撮って繰り返し観ていました。2002年大会は大学の寮でチームメイトとかと観ていましたけど、日本が共催した大会だったけど、東京でやっていなかったので、案外近くて遠い感じでした。
Q:すると、2006年大会の方が印象は強かった?
はい。Jリーガーになって初めての大会で、Jリーグで対戦相手としてやっている人たちが出ていたので。それでも、自分がそういう場に行くことになるとは思っていなかったですけど。
オシムさんが代表監督になって、当時僕のチームメイトだった我那覇が代表チームに入って、「俺にもチャンスがあるのかな?見ていてくれるんだ」と感じて、そこで初めて代表を意識しました。でも、まずは(川崎の)チームでしっかりプレーして、チームの勝利に貢献することをいろいろと考えていたんですけど、どこかで呼ばれたらいいなと思っていました。
Q:高校や大学で目立った成績を残してきたわけではないですが、どういう思いでここまで歩んできたのですか?
子供の頃からサッカーが好きで、自分にはこれしかないなと思いながらやってきていました。プロ選手になりたいとか言っていましたけど、確信はなかったです。
練習や試合を自分が満足できるように一日一日努力してやっていたら、ここまで来たと言う感じです。レベルが上がるとイメージのずれや誤差が生じるんですけど、自分の中で練習や試合で埋めたりして、自分の好きなサッカーを極めたいという気持ちでここまでやってきました。
Q:そういう作業は小さい頃からですか?
小学校の頃は、そこそこ出来ていた選手でした。でも身体が小さくて、小さいからそれを埋めるためにどうするかと考えていました。逆に、身体が大きくてなんの苦労もなくできていたら、今の自分はいなかったかと思います。
身体の小ささはどうしようもないから、自分でできることは何かと考えて、ポジショニングやトラップなど細かいことをやらなくてはだめだろうと思いながらやっていました。自分のプレーを思うようにできないと、できるようにするために何が足りないかを考えて練習していましたね。
Q:学校ではコーチにアドバイスをもらったりしたのですか?
そんなには。基本的には、僕が出会ったコーチはみんな、プレースタイルに関しては自由にやらせてくれて、「あれをしろ」とか「これはやるな」ということはなかった。まずは選手にやらせて、できなければ手助けをするという人たちでした。だから、自分の中で考えることも多かったし、自分で考える癖がつきました。それと、サッカーは楽しいものということを教えてくれた。これは子供には大切なことです。監督やチームメイトやいろいろな出会いの全てが自分を作ってくれていると、感謝しています。
Q:代表チームのメンバーでいることは刺激ですか?
そう。でも競争もあります。Jリーグでいい対戦相手としてやっている選手と味方として練習したり試合をしたりするのは楽しいことだし、自分を成長させてくれている。それは代表に来て初めて気がつきましたね。
Q:代表デビュー戦のことは覚えていますか?
ええ。06年10月のガーナ戦で親善試合でした。ベンチの周りにカメラマンがたくさんいて、有名人が君が代を歌って…。テレビで観ていたことが目の前にあった。試合前に代表戦ではいつも君が代を歌うでしょう?そうすると、いつも「ああ、おれは日本人だな」って思います。アウェーの試合では、たまにテンポが違ったりすることもあるけど、僕は好きですよ。一緒に歌います。音程を気にしながらね(笑)。僕の場合、代表経験はフル代表までなかったので、他の人よりも日本を代表するということについて、自分は新鮮に感じるし、他の人よりも強いかもしれないですね。
Q:代表チームでプレーすることで学んだことはありますか?
日本のトップの集団に加わること自体、いいことだしすごく自信になっています。トップレベルでやっている時間が他のみんなと比べると短いから、まだまだ引き出しはあると思っています。(昨年9月のガーナやオランダ戦のような)ああいうレベルで違う相手とやることが、僕にとってはすごく必要なこと。(自分の力を)引き出してもらえるように感じます。それに、やってすごく楽しい。
Q:そういう相手が集まっているワールドカップは最高の舞台では?
うーん、厳しい試合になると思います。でも、自分たちがつき詰めているものをやりきれば、チャンスはあると思うし、自分もそこに参加して日本のために戦いたいという思いがすごく強いです。大きな大会ですし、自分の人生で最大のチャレンジです。
その前に競争もあります。中盤はいい選手がいっぱいいるから、それはなかなか大変ですけど、ワールドカップは頑張った先にあるものですから。代表チームの活動日数は限られているので、代表のことを頭に入れながら各自がチームで鍛える。その意識をどのぐらい強く維持できるかすごく大事だと思います。普段からやれていないと、代表で出来ず、みんながやれないと、代表のチーム力は上がらない。
代表は、こんなにいい場所はないと思います。日本のトップであり、なおかつワールドカップでやる可能性がある。今の代表チームはすごくいいですし、選手同士の関係もよくて、クラブチームのような感じです。みんな、しっかりやる時とリラックスする時を知っています。ワールドカップで自分のいいところを出したいと思っています。でないと自分がいる意味がないですから。
(取材・文:スポーツジャーナリスト 木ノ原句望)