フリーステートの呪縛~ブルームフォンテンのもう一つの顔~
日本代表はワールドカップ・南アフリカ大会決勝トーナメント1回戦で姿を消したが、国外で行われた大会で初勝利を挙げ、さらに決勝トーナメントに進出したことは、日本サッカーの今後にとってポジティブな刺激になった。そして密かにもうひとつ、今回の活躍でぬぐい去った“記録”があった。
それが生まれた場所は、今回、日本代表がカメルーンと初戦を戦ったブルームフォンテンのフリーステート・スタジアム。時は1995年に遡る。同じくワールドカップと称する大会だが、競技が違う。ラグビーだ。
95年ラグビーワールドカップは、黒人を中心とした人種差別のアパルトヘイト政策が撤廃後に、ネルソン・マンデラ氏が初の黒人として同国大統領に就任して初めて開催された、大規模国際スポーツ大会だった。そこに日本も出場していたのだが、いわゆるグループステージ3戦目でニュージーランド・オールブラックスと対戦し、17-145という史上最悪のスコアで惨敗した。それがこの競技場だった。
この大敗が日本ラグビー関係者の心に大きな傷として残ったことは言うまでもないが、不名誉な記録はトップニュースとして当事者のニュージーランドや日本、開催地の南アフリカだけでなく、世界中を駆け巡り、当時、英国でサッカーを取材中だった筆者も、日本人と分かると、行く先々でからかいや憐みや同情の声や目を向けられたものだった。
「日本」という枠で捉えるなら、フリーステート・スタジアムは、そういう呪縛のかかった、実に縁起の悪い場所だったのだが、しかし、サッカーの日本代表は堅実な戦略で国外のワールドカップで初の勝利をマーク。呪縛とは無縁だったことを示し、当時を知る人々の塞いだ気持ちを解放してくれたのだった。
そればかりか、サッカーの日本代表チームはこの日初めて代表戦を観たという人々を、その勝利と力強いパフォーマンスで惹きつけた。ケニアのナイロビから観戦に来たという日本人の若い医師のカップルは、熱心なサッカーファンというわけではなかったというが、カメルーン戦後は日本代表チームの動向とワールドカップをフォローするようになったという。そして、グループステージ突破を賭けたデンマーク戦は、どきどきしながら見守ったと話した。
パフォーマンスに対する正当な評価は、ブルームフォンテンが南アフリカの最高裁判所を設置する、司法上の首都たるゆえんだろうか。いずれにせよ、日本人のこの町に対する印象をポジティブなものに塗り替えたことだけは確かなようだ。
Text by Kumi Kinohara