6月27日 ケーナーコー(ついにその時が来た!)
新たに作るマッチフラッグは150㎝×200㎝のサイズのものを4枚の目標としました。こちらに来てから作ることが出来たという特色を出したいので、まずはこれまでの3つの試合結果を記すことにした。カメルーンに1-0、オランダに0-1、デンマークに3-1そしてパラグアイには?-?。この3つの試合は胸を張って、フラッグにしっかり残したくなる結果である。そして「KE NAKO(ケーナーコー)=ついにその時が来た!」というズールー語をいれることにした。この言葉はテレビ中継の時に度々でてくる言葉である。もうひとつブブゼラも絵柄として入れた。これはパラグアイの国旗の中のエンブレムにある文様のような感じで旗の中にあしらってみた。テレビ朝日のクルーから取材を受ける。
お昼ころになると、日本の報道関係の人たちが30人ほど一気にやってきた。マッチフラッグの取材?ではなく、みんなジョージからこちらに移動してきたのである。日本チームもファンコートをチェックアウトして私たちの今いるホテルの側に引っ越してきている。ジョージで会った知り合いのプレスの人たちもいて、またこうして会えてよかったね!と喜びを分かち合う。考えてみれば、このような喜びを分かち合うということがこちら南アフリカではあまりできていない。これが日本だったら繁華街で、会う人ごとに「おめでとう!」ということになるのであろうが、そこが南アフリカ事情である。
日本の29日の試合はここ(センチュリオン)から30分のどのプレトリア、そしてそこに勝つと7月3日の試合は、同じく30分くらいのエリスバーグである。なのでみんなこの地域に一気に引っ越ししてきたという訳である。日本代表の練習が午後からあるというのでプレスの人たちは慌ただしく出かけていった。
FIFAのオフィスを訪ねてた。昔の知り合いが今はFIFAで勤めているので、ちょっと社旗見学気分である。正式な取材をするには正式なオファーがいるので、今日は昔の友達の職場見学ということである。ネルソンマンデラスクエアーに面している図書館の裏にある空きビルをこの時期借りてFIFA本部になっている。友人が玄関までパスを持って出迎えてくれる。荷物検査を受けて中に入ると、テレビモニターで観戦できるスペースがあり、コーヒーコーナーがあり、わりとさっぱりとしている。案内板にはKOREA JAPAN Meeting roomと表示があった。いまごろ日韓の何の会議をする部屋なのだろう?と友人に聞いてみると、これはただ単に会議室の名前だそうだ。近年の開催国の名前が会議室の名前になっているという。フランスの部屋が一番小さいらしい。
300人ほどが現在ここにいて大会を運営していて、朝は7時半からミーティングが毎朝あり、一日のことを確認する。「ミックジャガーがUSAの試合をクリントンの隣で見たいと言ったりね」と友人は笑っていた。
夜はアルゼンチン対メキシコの試合を観戦にいく。マラドーナ監督は選手以上に人気がある。試合開始前にマラドーナが選手と一緒にボールをけり出すと会場からは歓声が上がる。彼の一挙手一動が絵になる。メッシの初ゴールはお目にかかれなかったが、試合は3-1でアルゼンチンの勝利である。メキシコの英雄ブランコ途中出場もなく。中米のサッカー王国メキシコはワールドカップを去って行った。今宵は満月であった。太陽暦のインカ帝国の末裔の今宵のパワーはどうだったのであろうか?アルゼンチンの旗は試合が終わった後もいつまでもたなびいていた。おれたちはまだここにいるぞ。帰らないぞ。
サッカーシティーのスタジアムの明かりは勝者にとっては明日への道しるべであるが、敗者にとっては見送りの灯に見えていることであろう。日比野克彦
(文責:日比野克彦)
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