6月30日 楽日は次につながる初日である
朝9時半、サポーター達を乗せたバスがホテルの前に停車している。みな帰国の途につく。トランクがバスに積み込まれている。サポーターが帰るということは日本チームも帰るということ、ということは日本は次の試合をしないということ・・・。私はみんなを見送っている。午後の便で帰国する遠藤選手の両親もバスを見送っている。大久保選手のお母さんが手を振りながら涙ぐんでいる。満足そうに長く滞在した南アフリカに手を振っている。昨晩、ホテルに帰って来てから、ラウンジでマッチフラッグをたたんで片付けている時に、遠藤選手のお母さんが、「みなさん毎晩夜遅くまで、フラッグを作ったり、応援していただいてありがとうございました。」とチームと供に戦ってきたサポーター達にお礼を言っていた。
終わり方が大切である。沈まない太陽はない、何事にも終焉はやってくる。昨日まではその終りがいつなのかは知らされていなかった。いつか来ることは知ってはいたが、わざと見えないふりをして、聞こえないふりをして、目の前のことだけを考えるようにしていた。いつかは「この時」が来ることがわかっていたが、どのような気持で「この時」を迎えるのだろうかは想像することが出来ず、どうすれば「この時」を気持ちよく迎えることが出来るのだろうかが分からず、負けることに憶病になっていた。しかし今、「この時」は気持ちよく、迎えることが出来ている。昨日の日本の戦いぶりのおかげで、南アフリカにいたことを誇らしく思える。バスが動き始めた。ひときわ大きく手を振る。みなバスの片側の窓に寄ってきた、バスが大きく揺れながらホテルのゲートを出て言った。バスも右に左に揺れながら長く滞在させてもらったアフリカの宿舎に別れを告げているようである。午後のバスも空港に向けて出発した。記念写真を何台ものカメラで撮ってみんな笑顔で写真に収まる。
誰もいなくなった。ロビーではソファを移動して掃除が始まった。ラウンジにはオランダ戦とデンマーク戦のマッチフラッグが一枚ずつたたんでポツンと床に置いてある。いつでも片付けられる状態なのだが、フラッグ達はまだトランクに入ろうとしていない。窓際にあるそのフラッグたちも、もうすこし南アフリカの風景を見続けていたいようだ。パラグアイ戦のマッチフラッグは太宰府の地へサポーターと供に一足先に帰国した。マッチフラッグを詰め込んだ袋の中には南アフリカのお土産を忍ばせておいた。袋を開けた時のみんなの顔を想像しながら・・・。
いままで経験したワールドカップのなかで、一番よいワールドカップであった。1990年イタリア大会の時に初めてワールドカップを生で体験した。98年フランス大会で初めて日本が出場したワールドカップ、2002年は開催国となり、2006年は3連敗。そして2010年はベスト16&ベスト8まで、あと少しのところまで行った。今日のこの気持ちも今までのワールドカップの経験があったからこそである。ワールドカップという大会でいくつの試合をすることが出来るのか、ワールドカップで試合を重ねることが、チームとサポーターとメディアを成長させる唯一絶対の方法であると思う。日本は98年の初戦アルゼンチン戦から数えて昨日のパラグアイ戦が14試合目となった。次の15試合目は2014に待っている。16、17、18、19試合目と繋がるように、また今日から始まるのである。終わらない、始まりである。今日の「この日」はいい日である。とても清々しい日である。楽日は次につながる初日である。
(文責:日比野克彦)
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日比野克彦