7月1日 ブブゼラの音は風に乗って
ブブゼラを買いに出かけた。昨日、日本からの電話取材で新聞記者の人と話していたら、日本では岡田ジャパンの活躍で盛り上がっている一方、とにかくブブゼラという奇妙な音でスタジアムを覆い尽くす、その話題も持ちきりだと言っていた。アフリカの地での日本チームの活躍がブブゼラを南アフリカの象徴として好意的に受け取っているのだろう。
ならば、オフィシャルグッズでこれという土産がな
かったので、ここはベタにブブゼラでいきますか、とホテルから歩いて15分ほどのセンチュリオンショッピングセンターにブブゼラをお土産にと買いに出かける。6日前にパラグアイのマッチフラッグを作るための布を買いに来たあたりだ。
日本チームがジョージから引っ越してきて、パラグアイ戦が行われたプレトリアで滞在したセンチュリオンレイクホテルが湖を挟んで向かいに見える。選手たちは、戦のあとはどうしていたのであろうか?次の試合のことを考えなくてよくなった瞬間、無念な気持ちはやがて、その結果を受け入れ帰国する自分の姿を想像することができるようになっていき、今までとは違う時間が流れ出したことであろう。そんな時がセンチュリオンレイクホテルであったことであろう。もう1回試合をしたいけれど・・・。
湖畔にある遊園地では、家族連れたちがのんびり時間を過ごしている。子供たちが回転ブランコに興じている。回転するスピードが最高潮になり、その声は絶叫となる、しかし徐々に速度が落ち、ロープで吊るされたブランコの角度も弱まってくる。声は速度とともに収まっていく。回転ブランコは停止し、子供たちが降りてきて親の元に帰っていく。
昨日の午後までは、そこのホテルにいたのに、今はもういない。みな帰っていった。
「もう一回乗りたい」と、子供の声が聞こえた。その声はこの地で最後の試合を終えた日本チームの「もう1試合したい」という声にも聞こえた。子供も同じ、人間はそういうものである。だから成長するのである。
湖面に西日が差しこんでいる。丁度今頃日本チームは関空に到着しているころである。日本チームの現場は日本に移った、もうここではない。
日本チームがいない南アフリカは日本サポーターにとって緊張感がない。だからこうしてお土産を買いにきている気分にもなれているということである。ショッピングセンターの入り口の屋台風店先で絵を描いている少年に会った。写真を見ながら写実的に鉛筆で書き写している。「どこで習ったの?」と聞くと「神様から貰った贈り物なんだ」と答えた。そうやって言い切れる裏には、これで生きていくんだという強さがあった。与えられたもので精一杯生きていく。生きる術の選択肢が多くはないから。
ブブゼラ買いました。ホテルまでの帰り道に、歩きながら吹いてみる、すぐには上手く吹けないが、要領をつかめば「ブオーーン」と大きな音が出る。4,5回鳴らすと、もう出来た、ということですぐ飽きる。そんなものだ、所詮おみやげなんて、もの珍しさで飛びつくのだが、引きも早いのがお決まりのパターンである。
しかしちょっとブブセラの不思議なところは、そのあとである。飽きたはずなのに、何故かまた吹きたくなる衝動がおこるのである。「ブオーン。ブオーン」とまた吹いてしまった。カルロスも「ブオーン。ブオーン」。道端の店のおじさんが。その音を聞いて、サムアップをしてこっちを見て笑っている。ブブゼラを吹くということは地元民にとっては南アフリカを受け入れているという印のようである。しかし吹いているほうは、別段そうでもなく、ただまた吹きたくなるのである。何かおしゃぶりのようなものなのか?口が吹いた時の感触をまた欲しがるのである。そんなブブゼラ初心者の二人のブオーンブオーンはホテルまで続いた。その音は乾いた大地によく響き渡っている。どこまでも遠くにその音は届きそうである。海を越えて、遥か水平線の向こうの日本に帰った岡田JAPANまでも届きそうである。
ホテルのラウンジに置かれたままになっていたオランダとデンマークのマッチフラッグをキャリアバッグに片付け始める。
その行為はこちらに来る前に東京のHIBINO SPECIALで行っていた行為と全く同じである。しかし違っていることがひとつある。それは、このマッチフラッグに縫いつけられている日付が、何度でも振り返りたいよき想い出のある日になったということである。東京で詰め込んでいる時は、日本で作ったみんなの気持ちを大切にしながら、ひとつひとつ紐で束ねてカバンに詰めていたが、今はそれにプラスして、南アフリカの地で日本チームと供に戦った事実がこのマッチフラグに加わった。その分フラッグはずっしりと重みを増していた。その様子をMATCH FLAG TVで放送した。
マッチフラッグの役割は3つある。ひとつは試合が行われる日までの想いを形にする表現行為。二つ目は試合当日にスタジアムで掲げてチームに気持ちを伝える伝達行為。そして三つ目が、あの時のことをみんなで想い出すという想像行為である。
「MATCH FLAG PROJECT SOUTHAFRICA 2010」は三つ目の活動へと移っていく。日本にマッチフラッグが帰ってから、今の時点で2か所でのマッチフラッグの展示が決まっている。
日が陰り始めたころマッチフラッグもなんとかバッグにおさまり、帰途への準備が完了した。MFTVも29日のVの振り返りコメントも放送し、回線を切り終了する。
マッチフラッグの南アフリカでの活動終了の報告と今後の国内での活動の確認をしにサッカー協会の犬飼会長・松田広報部長と会う。会長は2022年のワールドカップ日本招致の関連で、チームとは別にこちらに残っている。「日本ではワールドカップ南アフリカ大会で盛り上がっているからその勢いで招致も行きたいね」と犬飼会長。そんな話をしていたらFIFA副会長プラティニさんが通りがかった。犬飼会長を見つけて「日本はいい試合だった、がっかりすることは何もない」と日本チームを称える言葉をかけていた。将軍プラティに私も声をかけ一枚記念に写真を撮った。南アフリカの最後の夜は更けていった。
(文責:日比野克彦)
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日比野克彦