[ 10.06.30 09:55 ]マッチフラッグタイムスVol.19 6月30日 楽日は次につながる初日である
6月30日 楽日は次につながる初日である
朝9時半、サポーター達を乗せたバスがホテルの前に停車している。みな帰国の途につく。トランクがバスに積み込まれている。サポーターが帰るということは日本チームも帰るということ、ということは日本は次の試合をしないということ・・・。私はみんなを見送っている。午後の便で帰国する遠藤選手の両親もバスを見送っている。大久保選手のお母さんが手を振りながら涙ぐんでいる。満足そうに長く滞在した南アフリカに手を振っている。昨晩、ホテルに帰って来てから、ラウンジでマッチフラッグをたたんで片付けている時に、遠藤選手のお母さんが、「みなさん毎晩夜遅くまで、フラッグを作ったり、応援していただいてありがとうございました。」とチームと供に戦ってきたサポーター達にお礼を言っていた。
終わり方が大切である。沈まない太陽はない、何事にも終焉はやってくる。昨日まではその終りがいつなのかは知らされていなかった。いつか来ることは知ってはいたが、わざと見えないふりをして、聞こえないふりをして、目の前のことだけを考えるようにしていた。いつかは「この時」が来ることがわかっていたが、どのような気持で「この時」を迎えるのだろうかは想像することが出来ず、どうすれば「この時」を気持ちよく迎えることが出来るのだろうかが分からず、負けることに憶病になっていた。しかし今、「この時」は気持ちよく、迎えることが出来ている。昨日の日本の戦いぶりのおかげで、南アフリカにいたことを誇らしく思える。バスが動き始めた。ひときわ大きく手を振る。みなバスの片側の窓に寄ってきた、バスが大きく揺れながらホテルのゲートを出て言った。バスも右に左に揺れながら長く滞在させてもらったアフリカの宿舎に別れを告げているようである。午後のバスも空港に向けて出発した。記念写真を何台ものカメラで撮ってみんな笑顔で写真に収まる。
誰もいなくなった。ロビーではソファを移動して掃除が始まった。ラウンジにはオランダ戦とデンマーク戦のマッチフラッグが一枚ずつたたんでポツンと床に置いてある。いつでも片付けられる状態なのだが、フラッグ達はまだトランクに入ろうとしていない。窓際にあるそのフラッグたちも、もうすこし南アフリカの風景を見続けていたいようだ。パラグアイ戦のマッチフラッグは太宰府の地へサポーターと供に一足先に帰国した。マッチフラッグを詰め込んだ袋の中には南アフリカのお土産を忍ばせておいた。袋を開けた時のみんなの顔を想像しながら・・・。
いままで経験したワールドカップのなかで、一番よいワールドカップであった。1990年イタリア大会の時に初めてワールドカップを生で体験した。98年フランス大会で初めて日本が出場したワールドカップ、2002年は開催国となり、2006年は3連敗。そして2010年はベスト16&ベスト8まで、あと少しのところまで行った。今日のこの気持ちも今までのワールドカップの経験があったからこそである。ワールドカップという大会でいくつの試合をすることが出来るのか、ワールドカップで試合を重ねることが、チームとサポーターとメディアを成長させる唯一絶対の方法であると思う。日本は98年の初戦アルゼンチン戦から数えて昨日のパラグアイ戦が14試合目となった。次の15試合目は2014に待っている。16、17、18、19試合目と繋がるように、また今日から始まるのである。終わらない、始まりである。今日の「この日」はいい日である。とても清々しい日である。楽日は次につながる初日である。
(文責:日比野克彦)
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日比野克彦
[ 10.06.29 14:42 ]マッチフラッグタイムスVol.18 6月29日 明日へ
6月29日 明日へ
【プレトリアへ】
ウルグアイ2-1韓国・ガーナ2-1アメリカ・ドイツ4-1イングランド・アルゼンチン3-1チリ・オランダ2-1スロバキア・ブラジル3-0メキシコと昨日までのベスト16の試合で勝ち残った国を見ると、ウルグアイ・アルゼンチン・ガーナ・オランダ・ブラジルと残るべき国が残ってきている。そして今日、日本はパラグアイとその列強国に名を連ねるべく試合に臨む。日本は90分の試合を3つ戦ってきて、270分の集中力の積み重ねで今日の試合をする権利を勝ち取ってきた。1秒たりとも隙があればこの日を迎えることは出来なかったであろう。そんな姿を見守ってきたサポーター達も「いよいよだね」と声を掛け合う。毎試合この「いよいよだね」という言葉が交わされるのだが、今日はまた格別のいよいよである。
このサポーターホテルでの試合のある日の朝の雰囲気も今までとはちょっと違っている。マッチフラッグをここで作ってきた人たちも「もう一枚つくりたいね」と遠回しに、ベスト8に残って次はベスト4を賭けた試合に挑む自分たちを想像している。そこは未知なる領域である。その姿に憧れたりもするが、今はそんなことは誰も直接口には出さない。言った先から勝負の神様に突き放されてしまうような気がするからだ。みんな平穏を装ってホテルを出発する。フロントの掲示板にはいつものように案内が書かれてある「6月29日・日本対パラグアイ、プレトリア16:00キックオフ」ついにその時が来た(KE NAKO!)
太宰府から届いた9枚のマッチフラッグには2010年6月29日という今日の日付が縫い込まれてある、つまりこのフラッグの本番の日、出番の日が今日である。南アフリカで作った4枚と加えて、今までで最大枚数のマッチフラッグとなった。決勝トーナメント進出が決まってから間4日で何枚のマッチフラッグが出来るのかわからなかったが、この行動力は凄まじく、遠く日本を離れていても日本国内ではかなり盛り上がっているんだなということが、そのマッチフラッグの勢いから想像できる。
30分ほどバスで移動するとプレトリアに到着する。アメリカ大使館の建物の前の広場でバスを降り、南アフリカにやってきた日本サポーターたちで、その熱気のこもったマッチフラッグを身に纏ったり、広げて持ったりし、スタジアムまでパレードをする。一気に我々のムードも盛り上がってきた。静かな森に囲まれたこの一帯に花が咲いたように賑やかになり、警備の人たちや道筋の家の人たちも、このプレトリアに遠く日本からやってきた我々を笑顔で迎えてくれている。大きな声を出して気勢を上げたい気分と、まだ空騒ぎはするべきじゃないという気分と、華やかなフラッグに視線が集まる高揚感とが入り混じりながら、ここまできた誇りをもって、そしてベスト16の日本チームのサポーターして堂々と戦いの場であるプレトリア・ロストスヴァースフェルトスタジアムへ足を進める。途中に日本のサムライ・ゲイシャに扮した外国サポーターと出会う。そのちょっと間違っていそうな姿に笑いが起こって、初めて自分たちが緊張している事に気がつく。
スタジアムが見えてきた、ゲートの前につくと地元南アフリカの人たちもマッチフラッグパレードの一団を写真に収めたり、一緒に交じったりしながら、ワールドカップの試合前ならではの国を超えた交流が始まった。グランドレベルで行われる90分の試合だけではない、もうひとつのスポーツがもたらす魅力がそこにはあった。サッカーという世界の共通言語で集まった者同士たちは即、互いを受け入れていた。
【スタジアムへ】
スタジアムがある敷地のゲートをくぐると、何人かが後ろでもめている。フラッグのサイズが規定より大きいから持ち込むことが出来ないと言われている。規定は2m以内、太宰府から持ち込んだものは2,4mである。西鉄旅行社のスタッフが係り員とかけあってくれて、半分に折ってスタンドで応援するからということでOKをもらう。太宰府のマッチフラッグは福岡の西鉄旅行社さんが南アフリカに持ってきてくれた、ほんと西鉄さんありがとうである。
スタジアムの周りではアフリカンミュージックが流れ、ダンサーたちが踊っている。長靴とヘルメットといういでたちのダンサー達は、パラグアイサポーター、日本人サポーターも巻き込み、自分たちのリズムに乗っかてきてくれるその姿をみて大喜びである。
ショップには日本とパラグアイのユニフォームが並んでいる。当然ながらここで日本のユニフォームを買う日本人サポーターはまずいない。今までのワールドカップでは、その日に対戦国と日付が印刷されてあるTシャツがあったのが、私も何枚か持っている。ここでしか手に入らないものだったら、現地に来た記念にと購買意欲も湧くのだが・・・店の定員も暇そうである。
プレトリアのスタジアムは赤煉瓦の外壁が特徴で気品がある。大使館などもあり高級感があるこの地域はその分警備も細かく、お役所的な規律があるようである。なので、みんながそれぞれここまで持ち込んだマッチフラッグがまたスタジアム内の警備の人にとやかく言われる可能性があるかもということで、まとめて私が袋に詰め込んで持ち込むことにした。サポーターはサポーターの戦いがある。袋を肩にしょってただ単なる荷物を装って客席スタンドに向かう。
スタジアムを見渡すとフラッグがどこにも張られていない。やはりこのスタジアムは厳しいようである。スタジアムによって規則が異なるというのも不思議だが、ここはここのやりかたがあるということで従うしかない。選手の名前などが書かれてあるいつも見かける横断幕もバックススタンドには張ることが出来ないようである。かろうじてゴール裏には横断幕をわずかに貼れる場所がある。
試合開始2時間前、まだスタンドには人はまばらである。ある程度人が埋まってきてからマッチフラッグを袋からだして客席スタンドで出すことにして、しばし静観する。スタンドを監視する警備員も今までの試合よりも倍に増えている。その分、警備員と警備員の間が狭くなっている。
スタジアムの大型ビジョンには日本の紹介のデーターが出ていた。「人口1億2700万人、プロサッカー選手974人、ワールドカップ初出場日・1989年6月14日、出場回数・3回、4勝2分7敗」かたやパラグアイは人口は日本の20分の1の634万人ながらワールドカップ出場8回目である。ベスト16も過去に3回ある、日本は自国開催の時の1回のみ、しかしながら互いにまだベスト8の経験は過去にない。どちらが勝っても歴史的な試合となる。
試合開始1時間前、会場には音楽が鳴り出し、観客も増えて来た、そしてピッチにアジア代表の我らが日本チームが姿を見せた。スタンドからは待ってましたとばかりにニッポンコールが沸き起こる。
このタイミングでマッチフラッグを袋からだし広げ始める。近くの席にいたジンバブエから来たという人たちらにも協力してもらって旗を振る、周りには南アフリカ人の日本を応援するサポーターも多くいる。日の丸をフェースペインティングしてにわか日本ファン大量出没である。パラグアイのサポーターも負けじと旗を持って寄ってきた。各国みんなでマッチフラッグを振ると周囲の観客からも歓声が沸き起こる。あらためて布は不思議である。袋の中から出すとあっというまに場が変わるのである。ピッチの選手にもきっと届いていることであろう。南アフリカで作ったパラグアイマッチフラッグには「KE NAKO JAPAN(ついにその時が来たぞ!日本!)」と書かれてある。そのフラッグを持ってスタジアムのバックスタンド前列を練り歩いた。制作してくれたサポーター達がみな同じ席でなく、いくつかにバックスタンド内で分かれているから、その人たちに対してのお披露目も兼ねてのパレードである。
試合開始の時間が迫り、日本サポーター席に巨大日の丸フラッグを準備する日本応援団の人たちが忙しく動き始めた。警備員がその存在に気がつき何やら注意をしているが、そのあまりにもの大きさと慣れた応援団の無視ぶりになすすべもなくやり過ごしている。このあたりは百戦錬磨の兵どもである。選手が入場する、テーマソングがスタンドに鳴り響く絶好のタイミングで巨大日の丸が広がる!ビールをたんまり買い込んできた観客もびっくりして腰をかがめる。我々の上に国旗の屋根が出来る、そこには国内で描かれたサポーターのメッセージが書かれてある。「がんばれ岡田JAPAN、ワールドカップ優勝、中澤まかせた、FIGHT!」・・・。私もこの旗に書いた。去年行われたトーゴとの親善試合の日に、あの2002年に同じくベスト8を賭けた仙台のスタジアムで「サッカーは文化だ!」と書いた。この巨大日の丸もみんなのメッセージを乗せて、よくぞここまで来たものだ。
日の丸の屋根が抜けていった。ピッチには選手たちがすでに整列していた。そして国歌が流れた。君が代を大声で歌う。さざれ石が巌になるようにみんなで一致団結して試合に臨む。バックスタンドからはスタメン11人が肩を組んでいる姿がはっきりと見える。まさに詩(うた)の姿である。行け!ニッポン!歴史に刻まれるであろう試合の開始である。
【延長戦へ】
試合はパラグアイの攻撃をしのぎながら、日本も走り攻めた、全員が90分をいっときの油断もせず0-0のまま延長戦に入った。ここからの時間は日本にとってはワールドカップ最長の試合の時間となる。今まで経験したことのない時間である。これから何が起こるのであろうか?延長前後半30分という、たかが30分という日常の中ではあまりにも短いその時間の中で何が起こるのであろうか?延長戦を迎えるスタンドはピッチ上にいる選手、チームスタッフたちから目を離すことができない。円陣を組んだ。その時あのシーンを思い出した。日本がワールドカップ初出場を決めた1997年11月16日ジョホールバルでの延長戦突入のあの時もチーム全員で円陣を組んだ。その時も今と同じ岡田武史監督が輪の中にいた。そしてNHKの中継では山本アナウンサーがこうコメントした「彼らは彼らではありません。彼らは私たちそのものです」今の我々もそう、あの円陣の中にいます。
あれから13年がたち、舞台はワールドカップアジア最終予選ではなく、World Cup Final(本大会)のROUND OF SIXTEENである。日本は成長した。大きく成長した。それを形として今ここに見せてくれている。
延長戦の30分はあまり覚えていない。選手の動きをボールの動きを追っかけながらも今、この時間、この瞬間、地球の上で確実に最も「気」のこもった時が流れていることだけを実感している身体がそこにはあった。スタンドは日本のホームとなっていた、ブブゼラの音をかき消して、ニッポン!ニッポン!のコールである。アフリカの人たちもそのリズムに乗っかりニッポン!ニッポン!と連呼する。アフリカが日本になっていた。
【PK戦へ】
PK戦になった。不思議な気分であった。日本のワールドカップが終わるのか終わらないのか?がPKで決まる。ワールドカップの大舞台でPK戦で勝者と敗者が決まる試合は幾つも見てきた。それは当たり前だが所詮他人事であった。こんなギリギリのやりどころのない気分というものだったのか。アウェーの地で迎えるトーナメントの戦いは、勝ったら残る。負けたら帰る。あと数分でその運命が決まる。「この先何が起こるかわからない」とよく言うが、今がまさにその時である。120分という規定の最大限の時間を使いきったその先のPK戦という、この止まっているような時間であり、なのに秒針が確実に運命に向かって進んでいるような時間。そして果てしなく微細に1秒の中に前にしか進むことの出来ない時間を刻み込んでいるようであり、なのに途方もなく未曾有の尺度の力がスタジアム全体を覆っているようでもあった。
そこに運命が待っている、目の前に待っている、しかし誰もそれは知らない。誰が知っているのか?「刻み込まれた時間」が知っているのか?「未曾有な力」が知っているのか?はたまたゴールラインから11m離れたペナルティーキックポイントの地点に置かれたボールが知っているのか?
何も知る術のないスタンドとグランドの人間たちはただ肩を組みその答えを待つしかなかった。
【明日へ】
試合が終わってから5時間34分が過ぎていた。岡田監督に電話をした。いつもと声のトーンが違っていた・・・。
「選手を勝たしてやれなかった・・・。」
言葉少なな岡田さんに私は一方的に話しかけていた。「いい試合でした。サポーターもみんなここまできてよかったって言っています。」あとは何を喋っていたのかよく覚えていない。
岡田さんと昔、話した時にこんなことを言っていた。
「煉瓦を横に積まなくてはならない時がある、縦にばかり積んでいては、進化することは出来ない」と。
この南アフリカ大会に向けて、いくつかの煉瓦を積むことが出来たと思う、本大会前の厳しい状況でのチームつくり、そして南アフリカ大会で初めてのアウェーでのベスト16、そして初めての決勝トーナメントでの延長PK戦という経験。
勝てなかった、けれど煉瓦は確実に積まれた。
赤煉瓦が美しいプレトリア・ロストスヴァースフェルトスタジアムで明日へつながる煉瓦が積まれたことは、誰しもが知っている。
(文責:日比野克彦)
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[ 10.06.28 22:15 ]マッチフラッグタイムスVol.17 6月28日 太宰府で制作したマッチフラッグが到着
6月28日 太宰府で制作したマッチフラッグが到着
午前中に日本からの観戦ツアーの人たちが30人ほど到着した。その中に太宰府で制作した明日のパラグアイ戦に向けたマッチフラッグも届けられた。日本のサポーターの熱き思いが込められたフラッグは見覚えがある古着、古布が使ってあってフラッグ作りを行っている太宰府のABCD(Asia Base Camp Dazaifu)の風景や、参加してい人たちの顔が浮かんだ。短い時間でよく作った!みんなすごい!飛行機にのっかて一人でやってきたフラッグがまづは無事にここに届いてよかった。早速このフラッグの仕上げである。スタジアムに設営できるように、ロープの取り付けを行う。遠藤選手のお父さんが手伝ってくれる「気合いをこめて、ギュ!とヨッシ!」とひとつひとつ願いを込めてロープをフラッグに結び付けていく。その後ろでは遠藤選手のお母さんが南アフリカ製の日本対パラグアイのマッチフラッグを作っている。
夜にブラジル対チリの試合を見に行く、原博美強化部長は「やはりブラジルは強い、無駄なことをしない。見ていてブラジルらしい小技がないからつまらないけれど、これがドゥンガが求めているサッカーなんだよね。」と試合後。ハーフタイムに小倉FIFA理事に会う。小倉さんはポートエリザベスの担当で、家族でそこに滞在している。「ポートエリザベスにも来てよ」と小倉さん。
昨日から審判の判定でいろいろ賑やかに論争がおこなわれている。判断ミスをした審判は即刻帰国だそうである。一つの判定が試合を決める。ここから一発勝負が続くだけに審判の判定に注目があつまる。
チリは去って行った。負けたというより、ブラジル相手に力を発揮できなかった、何もできなかった悔しさであろう。かたやブラジルサポーターは余裕である。これからおれたちのワールドカップが始まるんだ!と言わんばかりである。
(文責:日比野克彦)
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[ 10.06.28 09:17 ]ジョージ オン マイ マインド
6月27日、今日がジョージ滞在最後の日。
6月6日にスイスからここ南アフリカ・ジョージに入り、早や3週間。ジョージのスタジアムで練習し、ジョージの空港から、ブルームフォンテーン、ダーバン、ルステンブルグの試合会場に飛び、またジョージに戻って調整を行う日々はあっという間に過ぎて行きました。
昨年から何度もジョージの関係者の方々と打ち合わせを行ってきました。皆様のご尽力のおかげでスタジアムは芝生も施設も完璧な状態で3週間使うことができました。メインとサブの2面を持ちトレーニングに集中できるスタジアムで使い勝手の良いキャンプには最適なものとなっていました。
ホテルでは自然に囲まれた静かな環境で本当にリラックスできました。身体を休め、仲間とコミュニケーションをとり、練習・試合への集中力を高める、といったキャンプ地に求められる要素を全て高いレベルで満たしていました。大会がはじまってからチームの一体感がさらに高まったのですが、この環境が寄与したことは間違いありません。また「日本では大会が進むにつれて盛り上がってきている」と日本の家族や知人から聞くのですが、ここにいると全く実感はわきません。様々な情報に惑わされることなく、次の試合、また次の試合に集中して準備を進めていくことができました。
メディアセンターの建築、運用も無事進み、多くのメディア関係者の方々にご利用いただき、日本への情報発信の拠点として機能できました。
また、一般公開トレーニングやタウンシップでの交流会では多くの人とふれあうことができましたが、イベント時だけでなく、日常で接する全てのジョージ市民の方々が温かく迎えていただき、応援していただいた事は間違いなくチームの力となりました。本当にありがとうございました。
我が家のようになったジョージを離れる今日、ここから日本に帰国するのではなく、皆様に「次も頑張れ!応援しているよ!」と言って送り出してもらえる事は何よりお世話になった方々への恩返しになったのではないかと思っております。
いよいよ決勝トーナメントです。
チームは午前の飛行機でジョージを発ち、パラグアイ戦の試合会場のプレトリアに入り、夕刻から早速、トレーニングを行いました。
明日、スタジアムでの公式トレーニング、記者会見を行い、明後日14時のキックオフです。
日本中のサポーターの皆さんとジョージの皆さんが一日でも長くワールドカップを楽しめるように、一つでも多くのゲームができるようにチーム一丸となって闘っていきたいと思います。
(日本代表チームスタッフ)
[ 10.06.27 20:43 ]マッチフラッグタイムスVol.16 6月27日 ケーナーコー(ついにその時が来た!)
6月27日 ケーナーコー(ついにその時が来た!)
新たに作るマッチフラッグは150㎝×200㎝のサイズのものを4枚の目標としました。こちらに来てから作ることが出来たという特色を出したいので、まずはこれまでの3つの試合結果を記すことにした。カメルーンに1-0、オランダに0-1、デンマークに3-1そしてパラグアイには?-?。この3つの試合は胸を張って、フラッグにしっかり残したくなる結果である。そして「KE NAKO(ケーナーコー)=ついにその時が来た!」というズールー語をいれることにした。この言葉はテレビ中継の時に度々でてくる言葉である。もうひとつブブゼラも絵柄として入れた。これはパラグアイの国旗の中のエンブレムにある文様のような感じで旗の中にあしらってみた。テレビ朝日のクルーから取材を受ける。
お昼ころになると、日本の報道関係の人たちが30人ほど一気にやってきた。マッチフラッグの取材?ではなく、みんなジョージからこちらに移動してきたのである。日本チームもファンコートをチェックアウトして私たちの今いるホテルの側に引っ越してきている。ジョージで会った知り合いのプレスの人たちもいて、またこうして会えてよかったね!と喜びを分かち合う。考えてみれば、このような喜びを分かち合うということがこちら南アフリカではあまりできていない。これが日本だったら繁華街で、会う人ごとに「おめでとう!」ということになるのであろうが、そこが南アフリカ事情である。
日本の29日の試合はここ(センチュリオン)から30分のどのプレトリア、そしてそこに勝つと7月3日の試合は、同じく30分くらいのエリスバーグである。なのでみんなこの地域に一気に引っ越ししてきたという訳である。日本代表の練習が午後からあるというのでプレスの人たちは慌ただしく出かけていった。
FIFAのオフィスを訪ねてた。昔の知り合いが今はFIFAで勤めているので、ちょっと社旗見学気分である。正式な取材をするには正式なオファーがいるので、今日は昔の友達の職場見学ということである。ネルソンマンデラスクエアーに面している図書館の裏にある空きビルをこの時期借りてFIFA本部になっている。友人が玄関までパスを持って出迎えてくれる。荷物検査を受けて中に入ると、テレビモニターで観戦できるスペースがあり、コーヒーコーナーがあり、わりとさっぱりとしている。案内板にはKOREA JAPAN Meeting roomと表示があった。いまごろ日韓の何の会議をする部屋なのだろう?と友人に聞いてみると、これはただ単に会議室の名前だそうだ。近年の開催国の名前が会議室の名前になっているという。フランスの部屋が一番小さいらしい。
300人ほどが現在ここにいて大会を運営していて、朝は7時半からミーティングが毎朝あり、一日のことを確認する。「ミックジャガーがUSAの試合をクリントンの隣で見たいと言ったりね」と友人は笑っていた。
夜はアルゼンチン対メキシコの試合を観戦にいく。マラドーナ監督は選手以上に人気がある。試合開始前にマラドーナが選手と一緒にボールをけり出すと会場からは歓声が上がる。彼の一挙手一動が絵になる。メッシの初ゴールはお目にかかれなかったが、試合は3-1でアルゼンチンの勝利である。メキシコの英雄ブランコ途中出場もなく。中米のサッカー王国メキシコはワールドカップを去って行った。今宵は満月であった。太陽暦のインカ帝国の末裔の今宵のパワーはどうだったのであろうか?アルゼンチンの旗は試合が終わった後もいつまでもたなびいていた。おれたちはまだここにいるぞ。帰らないぞ。
サッカーシティーのスタジアムの明かりは勝者にとっては明日への道しるべであるが、敗者にとっては見送りの灯に見えていることであろう。日比野克彦
(文責:日比野克彦)
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[ 10.06.26 18:03 ]マッチフラッグタイムスVol.15 6月26日 新たな気持ちでパラグアイとのマッチフラッグを制作
6月26日 新たな気持ちでパラグアイとのマッチフラッグを制作
ベスト16が全て出そろった。 アフリカからは6カ国のうちガーナのみ、ヨーロッパも13カ国のうちに6カ国、北中米は3つのうち2つ。オセアニアが0、そして南米が5つ中5つ!そしてアジア代表は4つのうち韓国と日本の2カ国である。ヨーロッパとアジアが半分になり、アフリカが全滅危機一髪!南米はなんと全てが進出!という快挙!波乱が多かったグループリーグと言えるであろう。世界メディア的にいえば日本がカメルーン・デンマークを抑えて進出したというのもこの大会を象徴する番狂わせのひとつということになっていることであろう。
マッチフラッグとしても日本がE組2位は予想どおりだが、対戦するF組1位はイタリアかなと思っていたのだが、前回大会優勝国のイタリアが落ちるという波乱があり、日本は南米予選3位のパラグアイとの対戦となった。
なんかこれは似たようなことを思い出す。あれは2002年の日韓ワールドカップの時のことである。日本はHグループで2位通過するだろうと思っていた。そしてGグループ1位になるであろうイタリアと神戸で対戦するはずであった。しかし日本は初戦、埼スタでベルギーと引き分け、ワールドカップ初勝ち点1をあげ、2戦目に横浜でロシア戦にて初勝利、、そして3戦目は長居でチュニジアに勝ち、2勝1分けで1位通過した。その結果G組2位のトルコと仙台で戦うことになったのだ。日本のメディアは行き先を変更したり、仙台のチケットを持っていたサポーターは大喜びしたり、逆に神戸のチケット持っていた者は肩透かしを食らったりということがあった。そしてまたしてもイタリアかと思いきや・・・である。 思いこみは何事においてもよろしくない。運転免許の更新の際の講習会でもよく言われる。思いこみが事故を招くのである。
新たな気持ちでパラグアイとのマッチフラッグを作り始める。ブブゼラなどもデザインに入れてこちらで制作した記憶も刻み込もう。ロビーのテレビでは韓国対ウルグアイの決勝トーナメントが放送されている。我らがアジアの強国KOREAよがんばれ!マッチフラッグには大きな赤い丸が縫い付けられ始めた。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、日差しがだんだんと傾いていき、六つ目の日の丸を縫い付けるころには、韓国の試合も後半30分を過ぎていた。試合会場はポートエリザベス、ネルソンマンデラベイスタジアムである。雨が降っている。80分ウルグアイがコーナーキックからのこぼれ球を見事な弧を描くシュートでポストをかすり2-1とした。韓国がこのまま終わる気はしない。絶対何かを起こす。そう信じながらも、時間はどんどん過ぎていく。ロスタイム4分・・・雨が激しくなってきた。2002年の仙台のあの日本対トルコ戦も雨であった。「テーハミンググ」の声がスタジアムでは響いていることであろう。そしてソウル市内でも夜中にかかわらづ真っ赤な韓国サポーターが母国の勝利を信じて力の限りの声を張り上げていることであろう。「テーハミンググ!テーハミングク!」しかし、無念のホイッスル・・・。韓国が負けた。テレビ観戦している日本サポーターたちからもどよめきの声。あの韓国でもこの壁は厚かったかと。「よーし!アジア代表日本だ!」と声があがった。日程が後の分、アジアの最後の砦となった日本はアジアの威信をかけて、アジア代表日本として29日、韓国と同じく南米の国パラグアイと戦う。マッチフラッグもその日にむけて着々とひとはりひとはりすすめていくのみである。
(文責:日比野克彦)
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[ 10.06.26 13:34 ]ベースキャンプ・ジョージに戻りパラグアイ戦に向けて始動
デンマーク戦から一夜明け、25日の午前にルステンブルグを出発し、昼過ぎにはベースキャンプ地のジョージの戻りました。ジョージ空港でも多くの市民の方が出迎えていただき、また宿舎でも従業員や関係者の方が昨日の勝利を祝福してくださいました。
6月6日にスイスから移動してきて以来、滞在は20日をこえ、試合から戻ってくるたびにホッとします。すっかり故郷のようになってしまいました。この環境があったからこそ、ここまでの試合でいいパフォーマンスができたのだと実感しております。
今日の午後は練習前に、地元住民との交流会を行いました。「タウンシップ」と呼ばれる旧黒人居住区にあるグラウンドに約1000人の方々が集まってくださいました。選手がそれぞれサインを求める人達に応じて短い時間でしたが交流を図ることができました。
その後、昨日の試合の先発組はホテル内でリカバリー、残りのメンバーはスタジアムでトレーニングを行いました。少ないメンバーでのトレーニングとなりましたが、集中力も高く、対人プレーの練習では、激しい当たりが見られ、充実の練習となりました。明日からは全員そろってのトレーニングとなります。
(日本代表チームスタッフ)
[ 10.06.25 20:12 ]マッチフラッグタイムスVol.14 フラッグ再起動!買い出し編
6月25日 フラッグ再起動!買い出し編
昨日の勝利の余韻に浸る間もなく、マッチフラッグリーダーとしてはやらなくてはならないことがある。それは次なる対戦相手とのマッチフラッグの制作である。
試合がある29日までの残された4日間の間にパラグアイ戦の旗を作るぞ!ということでまずは素材の生地を手に入れなくてはならない。グループリーグでの3戦は日本で2ヶ月間かけて12の都市でのべ2,000人の人たちの協力のもと古着を使って制作してきたが。決勝トーナメントのマッチフラッグは限られた時間内で作らなくてはならないので、生地屋さんに行って必要な色の布地を仕入れることにした。
ホテルの人に聞いて車でショッピングモールまで出かける。考えてみればホテルのあるセンチュリオンという地区の街にはこれまで出たことがなかった。ぶらりと近所を歩くことはホテルの周りのレストランとかがある地域に限られており、そのあたりがこの大会の少々物足りない点である。
車で10分位のところには日本でいえば郊外型の車でかけつける巨大ショッピングセンターがあり、大きな駐車場がある。日本と似ているが違う点と言えば、広大な駐車場が舗装されておらず、土ぼこりが舞っているというあたりであろうか。
生地屋さんには充分な品ぞろえがあり、値段もそこそこ安い。150センチ幅のコットンの白い生地が1メートルあたり350ランド(400円)である。店員さんとワールドカップの試合で応援するフラッグを作る話をすると「AYOBA!」と声が上がった。英語でいうところの「COOL!」日本語で言う所の「カッコイイ!」というところであろうか。このAYOBAはワールドカップの音楽の中で、掛け声としてよく耳にする言葉である。それと「KE NA KO」(キー ナーコー)というのもサウンドロゴ的に試合中継のテレビでよく聞く言葉である。これは「ついにその時が来た!」という意味である。
そんな話をしながら、白・赤・青・黄・緑・黒の生地を購入する。パラグアイの旗はオランダと同じ横の三色旗にまん中の白地のところにエンブレムがある。店先にワールドカップ出場の32カ国の旗が飾ってあって、細かいところまで確認できて丁度たすかりました。買い物には初戦からマッチフラッグを手伝ってくれている人も一緒につきあってもらって、これから作りますよ!と気合いを入れる。
ホテルでは帰国の途に就くサポーターたちが空港行きのバスに乗り込んでいった。あとは日本で応援します。もっと南アフリカにいたいけれど後はまかせました。デンマーク戦を目撃できた満足感と、まだこの先にもっとすごい出来事が待っているのに・・・という気持ちが相まっているようである。しかしトランクには大きな土産話しを故郷に持って帰ることが出来る喜びが詰まっている。
ロビーではデンマーク戦のマッチフラッグの補修作業がサポーターによって行われていた。喜びをフラッグに伝えた分だけつなぎ目あたりが破れているところがある。マッチフラッグの役割としては、試合が始まるまでの期待感を形にすること、そして試合中にスタンドで掲げること、そしてもうひとつ、その日のことをいつまでも思いだせる装置になることである。日本に持ち帰り、2010年6月24日JAPAN・DENMARKと記されたこのマッチフラッグを見れば昨日のことが、それぞれが過ごした空気感を再現できるのである。時間は前にしか進まないが、人間の想像力があれば時間は過去にも未来にも行けるのである。補修している人たちも、そのほころびを糸で縫いながら、いつまでもこの時のことを忘れないということを自分の記憶にも同時に縫い付けているのであろう。
(文責:日比野克彦)
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[ 10.06.25 09:54 ]グループステージ突破!
勝ったチームが決勝トーナメント進出となる大一番のデンマーク戦に勝つことができました。
スタジアムに駆けつけてくださったサポーターの皆様、
そして深夜にもかかわらずテレビの前で声援を送ってくださった日本中の皆様、ありがとうございました。
チームは試合後、記者会見、ミックスゾーンでの取材対応を終えて、23時50分にスタジアムを出発。
日付が変わって0時30分に宿舎に戻りました。
スタジアムの喧騒と全く別世界の静かな山の中に戻り遅い夕食をとりました。
明日は午前中にベースキャンプのジョージに戻り、午後からトレーニングの予定です。
29日のパラグアイ戦でも日本らしいサッカーで勝利を収められるように
またしっかりと準備をしていきたいと思います。
(日本代表チームスタッフ)
[ 10.06.24 23:13 ]マッチフラッグタイムス Vol.13 ルステンブルクへ、デンマーク戦いざ
6月24日 ルステンブルグへ、デンマーク戦いざ
マッチフラッグの準備は万全である。最後に仕上げを南アフリカに乗りこんできたサポーターの人たちにしてもらい、試合も3戦目となるので、こちらのスタジアム事情もだいたい分かってきた。
今まではスタジアムの中には袋に詰め込んだ状態で私とカルロスの二人で持ち込んで、設営を行ってきたが、今日はその部分もサポーターの人たちにも一緒にやろうということになり、バックスタンドの同じブロックの座席チケットを20枚、西鉄旅行社さんのご厚意で用意していただいた。
ホテルのロービーのインフォメーションボードには「6月24日・日本対デンマーク戦15:30出発」と書かれてある。まだ出発まで6時間もあるのに既にサポーター達はユニフォームに着替えいつでも乗り込める体制である。「早いね」と声をかけると「なんだか落ち着かない」と一言。ここまでオランダは勝ち点6、日本は2位で3位デンマークとは勝ち点で並び、得失点差で1点うわまっている。引き分けでセカンドステージに勝ち進めるのである。同時刻に行われるもう一つの試合カメルーン対オランダは関係ない。目の前の相手を0点に抑えればいいのである。この可能性は相当ある。そんなみんなわかりきっている話を、楽しそうに嬉しそうに話す。
その様子をテレビ朝日のクルーが撮影しにきた。今夜の報道ステーションで南アの日本人サポーターを取材にルステンブルグに先乗りしていたのだが、誰もルステンブルグには宿泊していなく、急遽こちらに来たということだそうだ。ルステンブルグまではここから車で3時間くらいである。サポーター達の多くはがヨハネスブルグベースで動いているので、今日の試合は日帰り組がほとんどであろう。取材のカメラが回る、ロビーにマッチフラグを広げて、みんなで気勢を上げてこの落ち着かない空気を、早くルステンブルグに行きたいこの気持ちを、ここまでやってきた日本に対する期待と、ここまでやってきた自分に対する気合いとを声に込めて気勢を上げた。
ホテルの従業員もブブゼラを吹いて盛り上げてくれた。さすがウマイ!小柄な女性なのに図太い低音がホテル内に鳴り響く。闘莉王の妹さんにもインタビュー、日の丸をしょって誇らしげである。
15時半になり、いよいよバスに乗り込み出発である。バスの窓からはまたしてもホテルのブブセラ3人娘、踊りも加わって日本の勝利を願ってくれる。かたわらにマネジャーも手拍子で仰いでいる。
彼女は昨日ワークショップの時にこんなことを言っていた。「私は日本のサッカー選手が好きである。なぜならば彼らは自分のハートの為にサッカーをやっている。しかしアフリカの選手はそうでなくって、お金のためにサッカーをやっているから」しかし、衣食住足りての日本でのサッカー事情と、そうでない環境である地域とでの、サッカーというものの意味が、選手にとって生きがいなのか、生活手段なのかは当然異なってくるのであろう。よくいうハングリー精神が日本には足りないという部分である。
今日の日本はどうだろうか?飢えているのか?岡田監督が良くする話で、「ある格闘家が試合の前に百獣の王ライオンが獲物を襲い相手の体を食いちぎる映像を必ず見るんだ、その気持ちで試合に挑まないといけないんだ」というのがある。今頃日本チームはアフリカの地でベスト16、グループリーグ突破という獲物に飢えていることであろう。
ちかくには野生動物保護区の国立公園もあるというルステンブルグが近付いてきた。アフリカの大地に陽が沈み始めた。真っ赤である・・・動物たちの狩りの時間の始まりである。
スタジアムの駐車場に到着しマッチフラグサポーター達20人とフラッグを手持ちで掲げながらパレードしていった。街灯も少なく、夜も更けすっかりあたりは暗くなってはいるが、このフラッグがあるおかげでみんな迷子にもならずスタンドまで辿り着いた。今までは広げては入っていなかったので、ゲートをくぐったところでFIFAのスタッフに呼び止められ、フラッグのチェックを受けた、フラッグの内容がふさわしくないかどうかというものである。まじまじとみながらの判定は!
「ビューティフル!」であった。ありがとうございます!
こんなことも予想はしていたので、大胆にキャラクターとかメーカー名の柄のTシャツなどがそのままフラッグにならないように制作の時から気を付けてきたのでした。ここで取り上げられたら泣くに泣けないですからね。
スタンドには既に日本サポーターたちが集まってきていた。我々も場所を決めて9つにわかれているフラッグを3×3に繋ぎ合わせる。いつもは2人でやっているのだが今日は心強い、緑のピッチには目もくれず旗を繋いでいくその姿に「ありがとう」というより、きっと昨日参加してくれた人たちだから、すでに自分がつくったという気持ちになっているのであろう。この気持というものは目には見えないけれど、その行為で人に伝わるものなのである。
大きくなったマッチフラッグを2階の後方214ブロックのスタンドで広げてみる、四方をみんなで持って旗を揺らしてアピールする。カルロスが1階におりて見栄えを確認してきたが、「ここでは見えにくい」との報告。
ならば場所を変えよう、やはりよりピッチに近いスタンドか垂直に幕を垂らすのがよい。2階席の前列が空いているゴールよりのエリアに移動して幕を垂らした。しかし高さが足りなく全部は垂らすことが出来ない、ならば半分はたらして、半分はスタンドにという変則ポジションにすることにした。1階に下りて下の席の人か文句が出ないぎりぎりのところまで下げた。
垂らすと見えやすいのだが、はためかすことが出来ないので変化がない。初戦の「カメルーン戦はスタンドではためかしたので動きがあった。2戦目のオランダ戦は垂直にたらしたので見えやすかった。そして3戦目はそのミックスバージョンといういことで、スタンドに残ったフラッグのつなぎ目のところに人が入ってフラッグを動かそうということで何人かに中に入ってもらった。これはいいんじゃない?。なおかつフラッグの中は暖かい。こたつのなかにはいっているようなものである。
試合が始まった、気持ちが高まれば体は動く、身体が動けば旗がたなびく、旗がたなびけば、ピッチにいる選手たちにも、スタンドにいるサポーター達にも、テレビで見ている世界中のサッカーファンたちにもその気持が伝わるのである。90分後にはどんな運命が待っているのであろうか、どちらかが喜び、どちらかが悲しむ、それがこれからの90分で、この場所で決まる。この試合はこの試合の勝ち負けだけではない。2006年大会グループリーグ敗退して以来の「突破!」への戦いとなるのである。その獲物を追いかけて飢えたSAMURAIが走りだした。
試合は本田選手の無回転のフリーキックが全てを決めた!揺れた!揺れた!ボールも揺れた!スタンドも揺れた!マッチフラッグも揺れた!前半開始10分くらいは攻め込まれていたが、持ちこたえ、立て直した後の日本の先制ゴール!デンマークは勝たなくてはいけないから、是が非でも先に点がほしいところであったのに、本田選手のフリーキックは相手の勝利への気持ちをも揺るがせる効果的な一発であった。それどころか、そのあとの遠藤選手のフリーキックにキーパーが反応が遅れた。戸惑ったのも、本田選手のあの無回転シュートの弾道の残像がキーパーに焼き付いてしまっていたからであろう。全てあの本田圭祐のシュートが試合の流れを決めた。
1発で流れが変わる。流れが試合を決める。流れとは11人+ベンチ+スタジアム+テレビで観戦している人たちの気持ちのことを言うのである。気持ちが一つの方向にまとまっていったときに流れが起こるのである。4年間の留まっていたグループリーグの壁を本田のフリーキックが穴を開け、ベスト16への水流がそこから流れ始めた。
その水勢は後半も続き岡崎選手のゴールも生み出し、見事3対1での勝利を収めたのであった。
勝利の瞬間はあっという間にやってきた。何の心配もする暇もなく、強いジャパンが目の前にいる。やったー!この気持ちをマッチフラッグに!垂らせ!揺らせ!垂らせ!揺らせ!本田選手がインタビューを終えて一人でサポーター席に駆け寄ってきた。センターメインバックスタンドにお辞儀をしたあと指をさしたその先にはマッチフラッグがあった。
マッチフラッグはたたまずにそのまま広げてみんなで勝利の凱旋パレードである。スタンドの外に出るとフラッグの周りにみんなが集まってくる。デンマークサポーターも寄ってきて、フラッグを背景に記念写真を撮っている「コングラッチュレーション」と試合が終われば互いにサッカーサポーターである。このマッチフラッグに今日戦った二つの国の国名が記してある。そして日本のサッカーの歴史の中で記念すべき日となった。2010年6月24日という日付がしっかりと日本サポーターの手によって縫い付けられている。「いい日だ、今日はいい日だ、日本が勝ってよかった。マッチフラッグを作ってきてよかった。今日はいい日だ。今日はいい日だ」
(文責:日比野克彦)
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[ 10.06.24 17:27 ]Views from South Africa ~ K’s travelling notes, 2 ~
ブブゼラの知らせ
試合の途中で、突然、観客席からブブゼラの音が膨れ上がった。彼らの目の前でプレーしていた、ウルグアイとメキシコのどちらかにビッグチャンスがあったわけではない。ラステンバーグのロイヤルバロケン競技場の試合ではなく、その時、他会場で行われていた南アフリカ対フランス戦で、南アフリカが得点を決めたことを祝う笛の音だった。
その場にいないにも関わらず、観客の反応は速かった。それもそのはず。スタンドの記者席にあるテレビモニターに映し出されていた南ア戦を、横目でチラチラと見ていた大会ボランティアらが、得点が決まると小躍りしながらサインを仲間に送っていたのだ。それに南アも携帯電話社会。SMS(ショートメール)で友人から伝令を受けた人もいたに違いない。見事な連携プレーだ。
6月22日、A組の最終戦。得失点差で同組3位だった南アは、フランスに4-0にすればグループステージ突破が可能になる。前半途中までに2-0とし、その直後にもオフサイドだったもののフランスのゴールネットを揺らすという、期待を持たす試合をしていた。ラステンバーグの会場では、メキシコとウルグアイが勝負をかけた好試合を行っていたが、ボランティアや南ア関係者らの思いは、ブルームフォンテンの試合に飛んでいたようだ。
ブブゼラは、現在でこそ、南アのサッカーファンの定番応援グッズだが、もとは民族楽器だったという。それがどういうわけかサッカーの応援で使われるようになった。1メートル弱ぐらいの長いものが一般的なようで、ワールドカップ用には各国の名前やフラッグカラーが入ったバージョンが売られていて、町の商店などではウィンドウディスプレーにも活用されていて、大会ムードの盛り上げに一役買っている。
だが、ワールドカップが始まるとすぐに、その使い方が問題になった。思い切り吹けば1本でも120デシベルを超える音を出すと言われている。大勢が一斉に吹き鳴らせば、隣の人との会話もままならない。それが、ホスト国である南アのメキシコとの開幕戦で、キックオフ前の国歌演奏時にもブ―プ―と鳴りやまなかった。翌朝のテレビのニュースでは、「国歌演奏時に吹き続けるのはいかがなものか」と取り上げられた。その一方で、南アの選手からは「吹き方が足りないから相手を圧倒できない。あれでは相手の応援になる」という注文が出た。日本の選も、試合中のベンチの指示もお互いの声も届かないという指摘していた。
ブブゼラの音は1993年のJリーグ設立時のことを思い出させる。当時、日本サッカーリーグ(JSL)時代から用いられていたチアホーンという、20センチぐらいの応援用の笛があった。だが、チャンスにもピンチにもプープーと鳴らされるばかりで、どちらのサポーターが応援しているのか、プレーに賛辞を送っているのか非難なのか区別がつかず、どの試合の応援にもメリハリがなかった。騒音の問題もあり、また、各チームのカラーを出そうと使用禁止になった。
ブブゼラは、南アのファンの応援スタイルとしては伝統的なものであり、尊重したい。だが、ドイツにはドイツの、イングランドにはイングランドの、日本には日本のサポーターが繰り広げる応援スタイルがあり、彼らそれぞれの応援がワールドカップの各試合に彩りを与えてきた。それが、どの国の試合でもブブゼラでかき消され、ブブゼラばかりが目立つ状況になっていて、少し残念な気もするのだが、それも南ア大会ならでは、ということなのだろう。あの野太いブーブーという音と共にこの大会を思い出すのは間違いない。
Text by Kumi Kinohara
[ 10.06.24 09:12 ]いよいよ明日、決勝トーナメント進出をかけた決戦
ベースキャンプのジョージから試合会場のルステンブルグに移動し一夜明け、チームはホテルを移動。
昨夜、グループリーグ突破を決めたウルグアイと入れ替わりにBakubung Bush Lodgeに入りました。
このホテルも部屋から「これぞアフリカ」といった風景が望める素晴らしい環境です。
午後7時過ぎにホテルを出発し、明日の試合時間と同じ20時30分からスタジアムで公式練習を行いました。
グラウンドコンディションを確認するとともに、戦術の確認等、制限時間の60分間をかけてじっくりと行いました。
試合後の記者会見には岡田監督と長谷部選手が出席、明日の抱負を述べました。
(詳細は samuraiblueレポート をご覧ください)
明日のデンマークとの決戦は、勝ったチームが決勝トーナメント進出、引き分けの場合は日本が進出となります。
キックオフはこちらの時間で午後8時30分、日本では夜中の3時30分となりますが、
是非とも日本代表に声援を送っていただきますようお願いいたします。
(日本代表チームスタッフ)
[ 10.06.23 19:11 ]マッチフラッグタイムス Vol.12 デンマーク戦前日ワークショップ
6月23日 デンマーク戦前日ワークショップ
朝10時、日本からのデンマーク戦を応援しに来たサポーターが30人程ホテルに到着する。
香港経由で5日間のツアーの人たちである。西鉄旅行社の方からの案内の話があった後、「今日これからデンマーク戦のマッチフラッグのワークショップを行います、時間のある方は参加してください」と呼びかける。今日のことは成田空港でみんなに案内のチラシが既に配られていたので、「早速参加します!日比野さんお疲れ様です!」と反応が良い。サポーターたちがアウェーの地で会うと必ず「お疲れ様です!」と声を掛け合う習慣がある。これはあまり国内での代表の試合では聞かない。互いにアウェーの地まで、こんなに遠くの地までよく来ました、一緒に応援していきましょう!という気持ちが日本から行きにくいところになればなるほど、この声がかかる確率は高くなる。遠路はるばる時差ボケもあるなかお疲れにもかかわらず、早速ワークショップが始まる。
ここで行うのは13日のカメルーン戦の前日に続き2度目である。ホテルマンもわれわれも要領よくテーブル・椅子を片付けて場所を作り、デンマーク戦のマッチフラッグを広げる。17日にジョージの練習場で全部繋げて広げた状態のまま持ってきたので床が一気に絨毯のようにマッチフラッグで覆われた。
東京町田から来れれている婦人は、カメルーンとオランダのチケットも買っていたそうだが、5月末の日韓戦があまりにふがいなくて行くのはやめた!と一度は決めたのだそうだ。しかしカメルーンに勝ち、オランダ戦に0-1での試合に、いてもたってもいられなくなり、「デンマーク戦のチケットも買っていたので、やはりここにきて応援することにしました」と。青い着物を着て応援しようと思っていたのですが、娘さんから反対されたそうで、その理由が、いざとなったら走って逃げなくてはいけないから、とのこと。隣で立ち聞きしたとしたら、なんとも不思議度100%の母娘の会話です。
東京から来た女性はこう語ってくれました。「私はデンマーク戦のチケットを買っていたのだけれど、いつも行く周りのみんなが、やはり危険だから行くのはやめる、と言い始めて、私も一人で行くのはどうしようかと思いながら、ぎりぎりまでキャンセルをするのをキャンセル料が取られない日までまったのだけれど、その期日が過ぎてしまったので、もったいないから来ましたという感じなんですが、行きたくないわけではなく、行けない理由が危険そうだからだけでは自分では納得できずにいました。なにか行く理由が欲しかった感じでなんですかね」。
13日のカメルーン戦前日の時にここで会ったサポーターたちとはまた違った心持で来ている人たちが揃っていた。今日着いた人たちはカメルーン戦を日本で テレビで見た人たちである。それからこちらに来たのだから、南アフリカへの「行くぞ!」という気持ちは、テレビで見たあの南アフリカへ行くぞ!」という映 像というバーチャルを自分の行動力で現実というリアルにするということが明瞭なだけに、一段ときつい想いがあるような気がする。
マッチフラッグの様子。闘莉王選手のお母さんも参加してくれました。ムービー内ではインタビューが見られます。
(文責:日比野克彦)
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[ 10.06.22 23:32 ]ベースキャンプ・ジョージからデンマーク戦会場のルステンブルグに移動
昨日一日をオフにあてコンディショニングにつとめた日本代表チームは、本日午前10時からミーティングを行った後、トレーニングを実施。デンマーク戦に向けて細かい点まで戦術等を確認しました。
その後、いったん宿舎に戻った後、デンマーク戦の試合開催地であるルステンブルグに向かうため、ジョージ空港へ。空港では着物姿の地元の子供達が日の丸を振ってくれたり、大勢の地元の方が歌でチームを送り出してくれました。常に明るくチームに声援をくださるジョージの方々のためにも勝ってここに戻ってきたいと思います。
約2時間後、ルステンブルグに到着。バスでホテルに移動すると今度はホテルの玄関でも子供達の歌とダンスでチームを迎えてくれました。
ホテルは5万haの広大な敷地を誇るピラネスバーグ国立公園の中にあり、この公園内にはゾウ、サイ、ヒョウ、ライオン、バッファローのビッグ5をはじめ、50種類以上の哺乳類や350種以上の鳥類が生息。ホテルの敷地からもこれらの野生動物を見ることができるそうです(もちろんフェンスはあります)。
ただ、到着した時間は既に周りは闇。ホテルの建物の外を歩く時には懐中電灯がいるくらいなので、どういう環境にホテルが建っているのか、全く分かりません。自然の中の素晴らしいホテルと聞いていますので、明日の朝が楽しみです。
明日は、ロイヤルバフォケング競技場での公式練習と記者会見を行い、24日午後8時半(日本時間25日午前3時半)、いよいよ決勝トーナメント進出をかけてデンマークと戦います。
(日本代表チームスタッフ)
[ 10.06.22 20:37 ]マッチフラッグタイムス Vol.11 20年前の記憶を辿り、アパルトヘイト時代の黒人居住区を訪ねる
6月22日 ソエート(前篇)
私が初めて南アフリカに来たのは1990年の6月であった。この時の旅は新潟空港からハバロフスクに入り、そこからシベリア鉄道でモスクワを目指す。途中にイルクーツクからモンゴル・ウランバートルに立ち寄る。
2週間かけてモスクワに到着し、その後、東西の壁が解放されたベルリンを経由しパリに入る。そして90年ワールドカップが開催されていたイタリアに行き、初めて生ワールドカップを体験する。ローマで行われたイタリアの試合でスタンド中にたなびいているイタリアのナショナルフラッグの素晴らしさに驚愕し!ナポリでは、あのアフリカ旋風を巻き起こしたカメルーンの試合でキーパー・イギータをかわしてのロジェミラのゴールを見てアフリカの身体的特徴を生かした独特のサッカーにこれまた驚愕する。ワールドカップ期間中にイタリアを後にして空路南アフリカ・ヨハネスブルグに入ったのであった。
1990当時はまだアパルトヘイト制度があった。その中でソエート(SOUTH WESTAN TOWNSHIPの略・最大の黒人居住区)の孤児院を訪ねた。私はそこで施設の建物の壁に絵を描いてきた。10m×2mほどの壁画である。長旅の想い出をそこに描いた。自由に移動してきたその時の気持ちをそこに記してきた。
あれから20年経ち、今回はそれ以来の南アフリカである。南アフリカでワールドカップが開催されると決まった時にまず思ったのは、その孤児院を再び訪ねてみたいということであった。その願いをかなえようということで今日はソエートに行ってみることにした。しかし当時の資料とかが手元に残っていなく、地名も住所も分からない。400万人が今でも居住しているというソエートの中で果たして見つかるのだろうか?
ソエートに詳しいドライバーのデブホに案内してもらう。まずは彼の知っている孤児院に行ってみる。デブホも時々寄付をしている孤児院だということだ。私の目的を話すと。「名前がわかっていれば簡単だが、わからないとなると難しい」といいながら、カーナビで「Orphanage」と検索する。このソエート中にはたくさんの孤児院がある。車から今は使われなくなった発電所の壁に絵が書いてあるのが見えた。20年前にはあれはなかった。
広い幹線道路を下りて、ソエート地区に入ると風景は一変する。平屋の家が立ち並び、路地が網の目状にあり、道行く人々が目に付くようになる。
デブホが知っている孤児院に着くが、私の記憶の建物とはちょっと違っていた。建物の中を見るまでもなく、そこで他の20年前からある孤児院を紹介してもらう。デブホがそこへの道順を言葉でメモする。再び車に乗り込み、移動する。孤児院はOTHANDWENIというところらしい。移動しながら「老朽化した建物で今はもうないかも」などと弱気になる。
2つめの孤児院に着いた。
そこの外観にも記憶がピンとこない、なんか違うっぽいなあ、念のために中に入る。かわいらしい手作りの万国旗が軒先に飾ってある。ここではないな・・・。
建物が建て替えられたりしたのだろうか?しかし廊下に貼ってあったこの施設の20年間の記録写真の中には私が知っている風景はなかった。壁にはかわいらしい子どもの絵が貼ってあった。またまたそこで別な孤児院を紹介してもらう。デブホが同じように道順をメモする。再び車に乗り込み移動する。
「建物が残ってたとしても改装されて、絵が残っていないかも・・・・」とますます弱気になり、探すことをしなくているより、探してみることが大事だよななどと自分にいいきかす。3つ目の施設はORLANDOというところにある。途中にガソリンスタンドに寄り、デブホが場所を聞いて確認する。はたして見つかるのだろうか?(つづく)
(文責:日比野克彦)
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[ 10.06.22 20:35 ]マッチフラッグタイムスVol.10 6月21日 ヨハネスブルグ スペイン-ホンジュラス観戦記
南アに来て10日が経った。キーボードを打つ音が変わってきた。爪が伸びてきたせいだ。選手が試合前に審判にスパイクシューズなど身体チェックされる様子を見ていると、指輪などのアクセサリーを付けていないかと同時に爪のチェックもされている。日本選手も南アに入り2週間以上経った、2,3度は爪を切っていることだろう。選手の皆さん深爪しないようにしましょう。今日は日本の国際審判西村さんが笛を吹く試合がエリスパークスタジアムである。対戦カードはスペイン対ホンジュラス。私も爪を切ってから西村主審の試合を観戦しに行く事にしよう。
ヨハネスブルグ市内にあるエリスパークは昨年のコンフェデレーションカップの決勝が行われたスタジアムである。新設されたサッカーシティースタジアムとは違って、住宅街の真ん中にあり、スタジアムまで行く道中には道路を横切りながらフラッグやブブセラを売る人や、段ボールに「PARKING」と書いて車を誘導し勝手に駐車場を案内する人などが往来し賑やかである。スタジアムの入り口につくと奇妙な像が道路脇に建っていた。手には何かでかい瓜のようなものを持っている。「ラクビーボール?」南アフリカはラクビーの人気は高く、ワールドカップの時期でもラクビーの関心度は高い。それにしても微笑ましい像だ。この味はなかなか出せるものではない。カメルーンにこの3月に行った時に見たエトーの像と似たところがある。アフリカの彫像などの造形からの流れが現代にくるとこうなるということであろう。日本でこの像を見たとしたら、「包み袋をもってのウォーキングしている人」に見えるであろう。
その像から100mほど行くとゲートがあり、そこには早速スペインサポーターたちが開場の時間を待ちわびていた。そのなかに太鼓を持ってひと際張り切っているおじさんがいる。どこかで見たことがあると思ったら、NHKで名物サポーターとして紹介していた人だ。確かバーのマスターだ。この大太鼓はスペインがワールドカップに出場するごとに新調し、お店にはその数だけの太鼓が飾ってあった。周りのメディアも目ざとくこのおじさんを見つけてカメラを回していた。ソンブレロを被ったサポーターには歴代のピンバッチがあり、さすが歴史あるスペインと思ってよく見たら、赤に白い丸の中に月と星、これはチュニジア?地中海はさんで向かいの国!いろんなところからみんなが混ざって応援しています。マッチフラッグ的な要素はいにしえから交流があった国々では当たり前のように存在していたということなのです。
ゲートが開き、スタジアム敷地内に入ると、スタジアムが2つあった。ひとつはラクビー場であった。ここはさしずめ運動公園である。敷地内にはオフィシャルスポンサーのパビリオンが建ち並んでいる。まだ準備が出来ていないところがほとんどで、TIAである。(This
is Africa)。上海万博の初日にアフリカ館に行った時もそうであった。5月1日の午前10時にはしっかり稼働しているものはほとんどなかった。これでいいのかもしれない。
なんとなく慣れてきた。試合の運営ではこうではこまるけれど・・・。西村さんもそれでは頭が痛い。そういえば試合運営でいえば、試合中のボールボーイたちのボールの出し入れのタイミングがどたばたしているなーと感じているのは私だけだろうか。
オフィシャルショップはしっかり開いていた。何度も見ているが、特に買いたいというものがないのはわかってはいるが、冷やかし半分と昨日覚えたズールー語を試しに行ってみる。「ンガボンガ」というと通じたらしく笑顔で答えてくれた。これの意味が「こんにちは」か「ありがとう」かどっちだったけ?と思いながら、まあ通じればどちらでもいい。
グッズの中で一つ気になっていたものがあった。「LUCKY PACKET」と書かれたビニールの包み袋である。いわゆるお楽しみ袋である値段は500円くらいである。私が袋を手で開けようとするがなかなか開かない。すると店員の女の子がその袋を取り上げると、キラリと眩しい白い歯をみせ、おもむろに歯で袋を破った。「わーーーンガボンガ!ンガボンガ!破られた!」そして中から出てきたのは、ワールドカップキャラクターのZAKUMIの缶バッチ+キーホルダー+腕輪が各1である。1000円相当の品だからお得だと説明してくれた。しかし私にとっては袋をきれいに破りたかった。この袋のほうがどうみてものちのちは値打ちがでそうなのに・・・。この引き裂かれた袋を見るたびに、あの白い輝く歯を思い出すのだろう。ンガボンガ。
帽子に缶バッチ、腕輪をはめてそろそろ開きだしたパビリオンを見に行く。SONYのパビリオンではアナログ3Dということになるのだろうか、遠近法で描かれたサッカーゴールの前で記念撮影をしている。HYUNDAIのコーナーでは大きなサッカーボールにサインが出来るようになっており、私もマッチフラッグとやたがらすのマークを描いて、デンマーク戦は2-0で日本の勝利と書き添えた。フェースペインティングや両チームのサポーターの写真をネット上にあげるコーナーなど、いつものおきまりのコンテンツである。サポーター達は試合開始前はすこし時間をもてあましている。こんなところでマッチフラッグワークショップができるといいのでは。デンマーク戦やってみるか。
スタジアムの入り口の壁に記念プレートが設置してある。そしてそのなかにあの先ほどの奇妙な像が持っていたのと同じ形のラクビーボール?がある。あの奇妙な像の造形的なのりからして、本当はちゃんとした形のラクビーボールをつくりたかったけど、あえて像の丸みのあるラインに揃えて、ボールも瓜のかたちにしたのかと!思いきや!スタジアムのしっかりとした記念プレートにもあの瓜なのである。ということはこの形が正式なボールの形。しばしプレートを見続けていると、そのボールが段々とボタもちに見えてきた。しばらくお米食べていないなあ。
スタジアムの中で昨日に引き続き上川さんとお会いした。「今日は西村君が出るからね」と自分のことのように張り切っていた。選手入場の際に審判がフラッグの次に出てきて、ボールをサッととってピッチへ進んでいくシーンは何度もテレビで見た。このことについて上川さんに尋ねると。「4年前にはなかったよね。かっこいいよね。あのボールは試合で使用するマルチボール(試合の日付と対戦チーム名が印刷されてある)の中でもひとつだけにKick offと書かれてあるんですよ。どこかスポンサーのところにいくんだろうな。審判の手元にはこないんだよね。そして選手紹介のあとにスタジアムの巨大モニターにも審判が動画で腕組をするシーンが流れているのも、今大会からで審判も選手同様にあつかわれているんですよ」と話してくれた。
試合結果は2-0でスペインの勝ち。得点差以上に実力差があったゲームでした。上川さんが声をかけてきてくれた「よかった、いい審判だった。問題なし!」と安堵の表情。昨日のブラジル戦が荒れたゲームだっただけに、心配だったのだろう。西村さんに勝ち点3!
1982年ぶり2回目出場のホンジュラスは北中米カリブの代表、アメリカ・メキシコが常連で、コスタリカとかジャマイカとかと競ってワールドカップに駒を進めてきた。よくぞがんばった。数少ないサポーターたちに声をかけた。なんとなく応援したくなるチームである。中南米はその昔スペインに侵略された歴史を持つ。なぜだかホンジュラスの帽子を帰りがけに買ってしまった、南アフリカ大会のネーム入りである。いつかホンジュラスに行くときにはかぶっていって、2010年南アフリカワールドカップでホンジュラス対スペインの試合を見たことを帽子を見せながら話そう。
(文責:日比野克彦)
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[ 10.06.20 21:49 ]マッチフラッグタイムスVol.9 サッカーシティ観戦記
6月20日 ダーバン−ヨハネスブルク−サッカーシティ
オランダ戦から一夜明けて、ビーチではテントが立ち並び、マーケットが開いている。「今日は日曜日か」と最近曜日の感覚もなくなり、移動に明け暮れながらの毎日である。マッチフラッグをデンマーク分とオランダ分をヨハネスブルグに運ぶ。確実に重量オーバーである。搭乗手続きは終わっていたが、カウンターで超過料金の手続きをしているあいだに、荷物を入れるのが間に合わなく、次の便に変更になる。これでこのパターンは二回目。これがアフリカである。その間に共同通信に依頼されていたオランダ戦の観戦記をメールする。重さのあるものを移動させるのは重量のないメールのようにはいかない。
ヨハネスブルグに到着すると、ゲートを出たところで待ちうける人のためにスタンドの客席をあしらった待合所が設営されていて、床はピッチの模様があり、一瞬グランドにあらわれた選手気分になれる。粋な計らいである。
空港からタクシーでネルソンマンデラスクエアに向かい、そこでSONYの人と待ち合わせる。ここは南アフリカに到着した12日の初日に来たところ、すでに懐かしい風景になっている。
3Dシアターには今日も人だかりである。
その足でサッカーシティースタジアムで今夜行われる、ブラジル対コートジボアールの試合を観戦しにいく。到着したのは試合開始前4時間。ちょと早すぎたかも。
巨大宇宙船のような外観のスタジアムは、郊外に立地しており、まさに大地に舞い降りたUFOである。あの未知との遭遇のテーマ曲が聞こえてきそう。
スタンドの中に入るとまだ人はまばらである。オレンジ色の客席が昨日のオランダを思い起こさせるのはダーバンの後遺症なのだろうか。時間と供に冷静になって昨日の試合を振り返る。日本以外の試合を観戦するのは今日が初めてであるし、マッチフラッグを持ちこまないのも初である。なにか手持ちぶたさな分、誰もいないピッチに昨日の日本チームのプレーをかってにイメージさせている。映像は確実に脳裏にのこっている。手にはマッチフラッグの重みがまだしっかりと残っている。人間が実際に経験したことは、時間が経つにつれて、忘れていくことと、深く刻み込まれていくことの二つあるのだろう。ピッチにはダーバンの空気が流れていた。
SONYの人と3Dの話を少しする。どこまで現実の世界に近づくことが出来るのか、人間のもっている視覚認識の原理を最大限に引き出してこのスタジアムの空気を映像化する。スタンドには3Dカメラが何台もあり、試合の空気の動を捕えようと待ち構えている。それはまるで空間捕獲装置とでもいえる様相であった。
スタンドを一周する。少し冷えてきた、ホットチョコレートを1杯飲む。「一日にどれくらい売るの?」と聞くと、売り子の少年は巨大スタジアムを指差して「500!」と嬉しそうに答えた。
スタンドのあちこちにあるファンショップではこちらでよく見かける、ヘルメットを改造した応援メットが売っている。固いメットの表面を切り出して、ペイントしている、手作り感満載の奇妙な品である。JFAの田嶋幸三さんも買っていた。
値段は500ランド(約6000円)ちょっとお高い。どこからこの発想がきたのだろうか?ブブセラといい今までにないノリである。そういえば、マンデラスクエアでは「耳栓をタダでおくばりしてまーす」という人がいた。大きな袋いっぱいに耳栓を広場に持ち込んで、道行く人に配っている。ブブセラに対する皮肉たっぷりのアクションである。スタンドの客席を案内する表示にも客がブブセラを吹いている絵が描かれてあった。
試合開始の時間が迫りブブセラの音響も高まってくる。
試合はカカが退場するなど荒れた試合になる。結果は3-1でブラジル勝利。
試合後に幸運にも2006年のワールドカップで国際審判を務めた上川さんと話をすることが出来た。今回は試合の審判の評価をする立場でこられているということであった。「今日の試合は今まで29試合行われてきた中で一番、審判のホイッスル的にはよくない試合であった。このような流れになったのは試合開始直後にクレームを言ってきた選手に対して、甘く反応したのが大きな原因である。最初選手たちは審判の出方を探ってくるので、そこでビシッと言わないと、統率がとれなくなってくるあとは、言葉の問題で片方のチームに会話がかたよるとよくない」とのこと。
「しかし全体的には審判のレベルはあがっている。特に線審のレベルには目を見張るものがある。オフサイドの判断は素晴らしい」
これから第3クール(グループリーグ3戦目)に入ってくると、審判にとっても選手にとってもきわどい場面で熱くなるシーンが増えることであろう。
ホテルに戻ると、日本からの新聞とか雑誌がフロントロビーに届いていた。そこには14日のカメルーン戦の報道がされていた。本田のシュートが決まったあと日本選手がよろこんでいる姿の背景に写っていた。このときの空気はしっかりと私の身体にも刻み込まれている。あれから6日がたち、そして第三戦まであと4日である。これからどんなことがおきてくるのであろうか。一日があっというまに過ぎていった。
(文責:日比野克彦)
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[ 10.06.19 18:29 ]マッチフラッグタイムス Vol.8 オランダ代表戦
6月19日 ダーバン 日本代表vsオランダ代表
朝早く起きると、朝日がインド洋の水平線から昇り始めていた。日出る国japanの一日が始まる。
午前中にMatch Flag TVを放送して、ホテルからバスでスタジアムに向かう。
15分ほどで到着し、荷物検査もなんなくパスしてバックスタンド3階でマッチフラッグの設営を行う。日本人サポーターたちも「おつかれさまです!」と声をかけてくれて一緒にフラッグを手すりに結び付けて言った。
69,957人収容の近代的なスタジアムにオランダ戦のマッチフラッグが横一列並んだ。スタジアムに合わせて組み合わせ方が変えられるところが、この接続型ビッグマッチフラッグの便利なところである。朝日新聞のカメラマンが撮影に来てくれた。
メインスタンドに移動する。客席のゲートのチェックもなく何処にでも行けてしまう所がブルームフォンテーヌと違う。ダーバンの温暖な土地柄のせいなのだろうか。というか場所によって客裁きが異なっているこ
と自体がアフリカ的ということか。このような時にこちらでは「TIA(ティーアイエー)だね」と言う。TIAとはThis is Africaの略なのだそうだ。
マッチフラッグをメインスタンドから眺めながら、試合を観戦する。周りの日本サポータの中に、鹿児島でマッチフラッグを作ってくれた仲間たちが弾丸ツアーでやってきていた。遠藤選手のお父さんや、闘莉王のお母さんもブラジルから来ていた。息子たちの晴れ姿の舞台は準備が整った!!
選手が入場してきた。するとバックスタンド3階席にとてつもなくデカイオランダのオレンジのフラッグが現れた。30m×20mくらいはあるだろう。同じタイミングで2階席にに日本の国旗も現れた。充分デカイがオランダと比べるとふたまわり小さい。しかし白地に赤い丸はオレンジ一色のものよりインパクトはある。いくぞニッポン!
試合は惜しかった・・・0-1の勝ち点0の結果は悪くはない。前半はオランダがガツガツあたりに来て、何度もボールを奪われるシーンがあり、いやな予感もしながらも0点に抑え、後半をどう戦うのか、昨年9月のオランダ戦はここから2点が奪われているだけにキチンと集中して行きたいものである。緊迫した試合。川島のセーブ・・・岡崎のシュート・・・。
川島はファインセーブもあった。オランダから勝ち点を取るにはスーパープレーがなくてはありえないということで
ある。岡田監督が終了と同時にしばしピッチを見つめたまま動かない。選手たちも勝ち点が届きそうだっただけに悔しさがある。守り抜くだけでなく攻めに行っての1点差負けはデンマーク戦に向けて気合いが入る。弾丸で来たサポーター達は勝ちどきを上げ喜びたかっただろうが、それは6月24日までお預けとなった。
マッチフラッグの撤収はオランダサポーターも手伝ってくれて、余裕のオランダ勝ち点6で安泰である。オレンジ軍団はさほど喜びもなく淡々としているのは、もっとやれたのにというところだろう。ダーバンの6月19日は日本がオランダと戦った地としてマッチフラッグとともに記憶に留めよう。サポーターのみなさんお疲れ様でした。
(文責:日比野克彦)
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[ 10.06.18 23:24 ]いよいよ明日、オランダ戦!
日本代表チームは、本日早朝、ベースキャンプ地のジョージを出発。
11時過ぎに第2戦開催地のダーバンに到着しました。
午後からはプリンセスマゴゴスタジアムで公式練習を実施。現在、怪我人もなく、23人全員で最終的な戦術の確認を行いました。
その後、試合会場に移動し、ピッチコンディションなどを確認。ワールドカップ用に拡張されたスタジアムは、約7万人収容で、チケットはほぼ売り切れていると聞きました。日本人サポーターも3000人以上がつめかけてくださるようです。
キックオフは13時30分(日本時間20時30分)です。
ご声援よろしくお願いします。
(日本代表チームスタッフ)
[ 10.06.18 10:02 ]マッチフラッグタイムス Vol.7 ジョージからダーバンへ
6月18日 ジョージからダーバンへ。日本代表前日練習
朝10時半にホテルを出発する。ジョージ発11時50分でダーバンに向かう。日本のメディアで満席。代表はチャーター便で今朝ダーバンに向かった。開けた平地の空港からは遠くの山並みが良く見渡せる。到着した3日前が一番寒かったようで、今日の天気が通常のようで過ごしやすい高原の気候である。南アフリカ航空の添乗員は南アのユニフォームで迎えてくれた。90分ほどでダーバンに到着する。冬物から夏物へ衣替えである。
空港からホテルに行く予定だったが、メディアのみんなが日本の練習が2時半からあるのでそれを取材に行くということなので迎えの車に便乗させてもらうことにした。このあたりが同じ日本を応援する同士の一体感である。
練習グランドは明日のダーバンスタジアムがコンディションをキープするために今日は使えないとのこと、その代替のコートがタウンシップ(昔の黒人居住区)の中にあるグランドということで、タウンシップを通っていくと、ストリートサッカーをやっている多くの子供たちを見かけた。
練習グランドにつくと、既に練習は始まっていた、公開が15分ということで、明日のオランダ戦のマッチフラッグを2セットだけグランド脇の柵に掲げた。練習終了後引き上げる前に何人かの選手が見に来てくれた。昨日の壮大な物を見ていたから、チームと一緒にこのフラッグも来ていたか、というリアクションであった。長谷部選手・遠藤選手・中村俊輔選手・闘莉王選手・森本選手・松井選手マッチフラッグに反応していただいてありがとうございました。
岡田さんもメディア対応に行く前に、話をすることができた。何も言うことはないのだけれど握手をして・・・あとはたわいもないいつもの話をして、最後には「はーーい明日頑張ります!」と言ってメディアセンターに走って行った。
がんばれジャパン!!
おまけ
(文責:日比野克彦)
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[ 10.06.17 18:54 ]マッチフラッグタイムス Vol.6 3戦分がそろい踏み 快晴のジョージに翻るマッチフラッグ
6月17日 ジョージ
朝8時にホテルを出発してメディアセンターへ、今日は快晴!空も真っ青である。新聞には「LION KILL」と日本がカメルーンを倒した記事出ている。
メディアセンターに到着するとすぐに、オランダ戦のマッチフラグを昨日飾ったバージョンをアップしてビッグフラッグにして36枚繋げたビッグマッチフラッグに仕立てる。カメルーンとオランダを練習グランドのバックスタンドの二階のてすりからぶら下げる。練習が始まるのは10時半。早起きしたかいあって余裕かと思いきや、おじさんが下から何やら言っている。「今日の練習は隣のサブグランドだ」「エッーーー!」代表チームに確認すると、間
違っていなかった。
急いではずして逆サイドに持っていく、幸運にも建物の反対側のほうがスタンドがない分、グランドまでの高低差がありビッグマッチフラグ(幅7,2m×高さ5,4m)にとっては好都合であった。天気も良く日差しの方向もバッチリ!汗をかきながら重いフラッグの移動と設営をカルロスとともにヘトヘトになりながら急ピッチでやる。二つが揃ったところは見事であった。こうなるとデンマーク戦のマッチフラッグもここで飾りたい。考えてみれば今日が3つが揃う最初で最後のタイミングである。明日からはオランダとデンマークのマッチフラッグを持ってジョージを後にするから。ならば、デンマークも組み立てよう!!それしかない!やるかない!場所は最高!天気も最高!練習開始まであと20分ほど。メディアセンターのバックヤードからデンマーク戦のマッチフラッグを運び、再び汗だく!遠くの山から吹いてくる風が冷たくて気持ちいい。スタンドのビップルーム的な部屋でデンマークを組み立て始める。デンマークの旗はまだ紐付けていなかったが、もうこちらは慣れたものである。しかし出来上がった時は既に練習は始まっていた。でもまあなんとか間に合った!
日本各地で作ってきたマッチフラッグサウスアフリカ2010が勢揃いである。すごい!三役揃い踏みである。サブグランドにはメイングランドと違って、国旗とかビッグユニフォームとか何もない分、ビッグマッチフラッグがひときわ目立っている。選手たちにも気合いを入れてくれるフラッグになっていることであろう。今日の午後の練習はなく、明日はいよいよオランダ戦のダーバンへ移動である。
大仁さんも広報委員長として大満足!松田広報部長も「すごいね」と驚嘆の表情。
バックサイドにいくとマッチフラッグを背景に選手を見ることが出来た。
ワークショップでこつこつつくってきたフラッグがまさに南アフリカの地に届いたと実感が出来る瞬間であった。よかった。ここまでもってこれてよかった。
練習が終わると、大仁さんも片付けを手伝ってくれた。ありがたい。いいひとである大仁さんありがとうございます。高さ90㎝×幅120㎝のフラッグが4枚でひとつの絵柄になり、これがひと試合につき9つの絵柄がある。それを3×3で繋いでビッグマッチフラッグにしている。なので90×120のフラッグが108枚あるということになり、なにやら意味ありげな数字である。さあこのジョージの晴れた空に舞うフラッグのごとく追い風に乗り岡田ジャパンいざ出港!!
グループリーグ期間中はジョージにはもう私は戻ってこないので、岡田さんに太宰府天満宮でひいた青いおみくじと勝利のお守りをわたす。田嶋専務が太宰府に来た時に引いたおみくじである。なんと大吉!田嶋さんが私から渡すようにと託されたものである。これで私のジョージでの目的はおおかた果たしました。あとはいよいよスタジアムでの戦い(マッチフラッグにとっても)が始まる。
再び移動のための荷造りを始めましょう。
(文責:日比野克彦)
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[ 10.06.17 08:25 ]オランダ戦へ向けてのジョージでのトレーニングを終える
本日のトレーニングは、午前の1回のみ。
10時に宿舎でミーティングを行った後、グラウンドに移動。
ウォーミングアップ、ボールポゼッションが終わった後は、非公開練習とし集中して戦術の確認を行いました。
明日朝にジョージから2戦目の開催地であるダーバンに移動します。
ダーバンの気温は20℃を超えるそうです。
標高の差、気温の差、今回のワールドカップはコンディショニング面でも難しい大会ですが、我々は様々な準備を入念に行ってきており、試合はベストの状態で臨めると思います。
明日昼前に到着し、午後から公式練習、会見を行い、明後日13時30分(日本時間20時30分)のキックオフに備えます。
[ 10.06.16 20:36 ]マッチフラッグタイムス Vol.5 ジョージ
6月16日(水) ジョージ
移動がない午前中は初めてである。メールチェックしながら、洗濯しながら、このマッチフラッグタイムズの写真 と原稿を選びながら、あっという間にお昼になった。部屋にはMF用に持ってきたロープに洗濯ものがかかっている。
プレスセンターに行き、オラン ダ戦のマッチフラッグの繋ぎ作業を始める。
4枚 ひと組で一つの絵柄になる。昼食後のTBSのスタッフに声をかけたら快く手伝ってくれた。中島さん宮崎さんありがとうございました。
練習グランドのバックスタンドに飾り付けを始める。風が強く苦戦するがなんとかオランダのマッチフラッグの設営がおわる。ゴール裏にはカメルーンとのマッ チフラッグを設置。
今 日の練習はフルメンバー。ランニングでスタンド付近に選手が走りすぎると、報道カメラマンたちのシャッター音がバシッバシバシと選手の足音と供に静かなグ ランドに鳴り響く。天気は曇り、一段と冷えている。雪が積もっていた山頂は雲に隠れて空が低い。しかし日本チームのムードはこんな天気はお構いなしの気合 い充実ムードである。スタンドにはビッグユニフォームも飾られ、ブルークロウのパネルもある。マッチフラッグを含めて、実際のサポーター達はここには来て いないが、ブルークロウを折った人たち、ビッグユニフォームに編み込まれた歴代の日本ユニフォームの想い、そしてマッチフラッグプロジェクトに参加した新 潟・水戸・東京・横浜・岐阜・金沢・福岡・太宰府・熊本・鹿児島・沖縄の人たちがしっかりと見守っています。
岡田監督もブルームフォンテーヌの バックスタンドの右のほうにあった。日本の試合のビデオを見ていたらマッチフラッグが映っていたぞ、とスタンドのマッチフラッグを指差しながら話してくれ ました。
メディアセンターでは人が一段と増えてきました。NHKの顔見知りのスタッフとも会ったり賑やかになってきました。その分ものものしい 警備員も増えてきた。みんな一体になってアジア代表である日本代表チームを応援している。
(文責:日比野克彦)
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[ 10.06.15 23:24 ]マッチフラッグタイムス Vol.4
6月15日
ヨハネスブルグからジョージに空路移動。
機内の車窓からジョージの海岸線が見えた。緩やかな起伏がある陸地は生きているようで、息をするとその表面が動きだしそうである。その動物の腹のような海岸線は大きな体をそのまま海に浸水させている。
空港からメディアセンターに行き、パスをもらい、向かいにあるグランドで代表の練習を見る。犬飼会長や代表チームに同行していたJFAスタッフとこちらに来て初めて会い、みんなと昨日の勝利を喜び合う。しばらく喜んでいなかったせいか、まだまだ始まったばかりのせいか、練習グランドで選手がトレーニングしている目の前のせいか、なんとなくぎこちないながらも、精一杯喜び合う。このような喜びは一人では表せないものであることが良く分かる。同じ喜びを持っている人と出会った時に、その喜びエネルギーは体外に発信されるが、そのラインが最近使っていなかったということであろう。この日の練習は先発以外の選手のみのであった。
練習後岡田監督に声をかける。最初の声かけはやはり「よかったね!勝ったね!」だった。なんて声をかけようかなと練習見ながら思ってはいたのだけれど、思わずでた言葉は正直な気持ちがそのままでした。選手たちはランニングが終わって、シャワーを浴びてプレスセンター内で取材に対応してから宿舎であるファンコートに向かう。岡田監督も今日は取材を受ける予定であるようだ。選手を先に行かせるため、岡田さんはシャワーを浴びない分しばらくベンチ裏で待機である。その時間をしばらくいただいていろいろ話をする、内容は長期出張先に訪れた会話のお決まりパターンをいくつか話した後、オランダ戦の話になる。
オランダチームのビデオをコーチ陣と夜遅くまで見まくっている。標高差の話になり、高地トレーニングの話。宿舎でも低酸素ボンベでトレーニングしているという話。ファンコートは広いという話、快適だがネット環境がいまいちの話。廊下は通じるらしいというあいまいな話。そこまでしたくないという話。徐々に雑談へとフェード。岡田さんは普段と変わらずとても元気そうであった。昨日までの岡田さんの様子は計り知れないので、当然昨日の勝利のせいで普段通りになったということなのかもしれない。勝利がこの時間を作っているということは確かである。私も同様、勝ち点3があるからこの時期にもかかわらず岡田さんと雑談が出来るということである。「さて記者の取材を受けに行ってくるか」とスタジアムを後にした岡ちゃんであった。
ファンコートに夜8時半に犬飼会長に会いにいく、プレスセンターから車で15分ほどのところにある広大な敷地を持つ施設である。厳重なチェックがあり、訪問者の名前も車両ナンバーも前もって届けておかないと入れない仕組みになっている。地元のドライバーも入るのはとても難しく自分も初めて入るといいながら、夜道のせいかキョロキョロしながらファンコートの中をどちらがレセプションなのかと探しながら運転している。
ラウンジでスタッフとともにブラジル対北朝鮮の試合を見ながら、日本チームの話をしながら、今後のマッチフラッグの話を報告しながら時を過ごす。今回のチームの団長でもあるけれど、マッチフラッグのJFA内での母体でもある広報委員会の委員長でもある大仁さんと原さんも途中から加わる。
(文責:日比野克彦)
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[ 10.06.15 23:03 ]オランダ戦に向けて練習再開
カメルーン戦の勝利から一夜明け、チームは午後から始動。
昨日の先発メンバー11人はホテル内でリカバリーセッションを行い、それ以外の16人はグラウンドでトレーニングを行いました。
昨夜から寒波が入り込み、南アフリカ全体が急激な冷え込みとなっており、いつものグラウンドの奥に見える山々には積雪が見られました。そんな中、少ない人数でしたが、対人プレーも入った激しいメニューを高い集中力でこなし、充実の90分となりました。
昨日の試合での怪我人もなく、試合に出ていないメンバーのコンディションも良好で、明日からまた全員でのトレーニングを再開します。
今日の練習後のメディアセンターでのインタビューなどでも、各選手が「ピッチもベンチもスタッフも全員が一丸となった勝利」と口を揃えるように、チームはひとつになっています。このムードをさらに高めて強豪オランダにぶつかっていきたいと思います。
(代表チームスタッフ)
[ 10.06.14 23:55 ]カメルーンを破り勝ち点3獲得
大事な初戦で勝ち点3をあげる最高のスタートを切ることができました。
ブルームフォンテーン・フリーステイト競技場は、隣の人の話し声さえ聞こえないブゼラの大音量と同じアフリカのカメルーンに対する声援が日本の数倍あるアウェーの雰囲気でしたが、多くの日本人サポーターの方がかけつけてくださり、その声は確実に我々チームに届いていました。
日本からの電話はメールでいろいろな場所で盛り上がっていると聞きました。競技場内だけでなく、日本中のテレビの前のサポーターの方々の期待にも応えることができ嬉しく思っています。
チームは試合終了後、そのまま空港に向かい、チャーター機でベースキャンプ地のジョージへ。
試合終了から約4時間後の22時過ぎには、既に我が家のように落ち着く場所になったジョージのファンコートへ戻ってきました。
遅い夕食をとるために食事会場に入ると勝利を祝うメッセージカードは一人ひとりの席におかれていました。
また、ホテル従業員の方による歌のプレゼントまでいただき、改めて今日の勝利を実感しました。
「今の試合終了のホイッスルは、次のオランダ戦へのスタートだ。次はもっと難しい相手だが、我々の力を見せてやろう」と試合後のロッカールームで岡田監督がチームに声をかけた通り、明日からここジョージでオランダ戦に向けての準備を再開します。
我々の目標に向かって進む道には、さらに大きな敵が立ちはだかりますが、それを1試合1試合破っていきたいと思います。
さらなるご声援をよろしくお願いします。
(日本代表チームスタッフ)
[ 10.06.14 22:34 ]マッチフラッグタイムス Vol.3 カメルーン戦観戦記
6月14日 日本代表vsカメルーン代表戦
スタジアムに持ち込みやすいようにマッチフラッグを袋に詰め込んで、ブルームフォンテーヌに移動開始!ヨハネスブルグ空港から飛行機で向かう。しかし飛行機は乗務員が遅刻で1時間遅れ。搭乗口のショップではマンデラサッカー人形が「そんなにあせるな!」とほほ笑んでいる。
ブルームフォンテーヌ空港は小さいながらも歓迎ムード一色である。
ロビーに入るといきなり掃除のおばさんが目に付いた。真っ赤な制服に白いエプロンは褐色の肌とふくよかなボディーによく似合う。
赤白はジャパンカラー!そして紅白でめでたい!これは縁起がいいかも!
空港で田嶋幸三サッカー協会専務と会う。 IMG_0043田嶋さんにはこちらに来る直前に太宰府で行っている「アジア代表日本」という企画のオープニングで対談したばかりだ。試合開始までまだ時間があるのでスタジアムに行く前に、ブルームフォンテーヌの土地の精霊にごあいさつということで、ボーア戦争の丘に一緒に行き、戦いの前に心静かに手を合わせる。
昼食後、午後1時開門と同時にスタジアムへ。ゲートの係りの人たちもまだ慣れていないのか自分が何のチェックをしていいのかよくわかっていないようで、荷物検査の台のあるところでは、たいしたチェックはなく、道端でいきなり袋の中身チェックが始まった。ここで没収されたらもともこもない。まだ入場してくる人は少なく、なにやら係員の練習台になっている感もなきにしもあらず。ここでもちょっと太っちょのおばさんががんばっている。袋から出てくるフラッグの鮮やかさにちょっとびっくりしながら、最後はフラッグが気に行ったようで、「これが私の仕事だからね」と笑顔で抱き合って無事通過!
観客席にはまだだれもいないが監視員たちはすでに位置について我々を見張っている。あまり派手な動きはしないほうがよさそうである。
ということで2時間余りは今から思えば何をしていたのかあまり思い出せないが、なにやらいろいろ考えていたのであろう。どこにどのようにフラッグを掲げるのか、ここが勝負どころである。そんなことを考えていたら2時間がたってしまったというところであろう。とりあえず、1枚くらいは記念写真でも撮っておこう。
人が増えてきた。はたときがつくとここはカメルーンサイドであった。しかし20人くらいの日本人はこの一角にはいる。そろそろいいだろうとフラッグを出して、カメルーンサポーターに見せると興味を示してきた。手渡すといきなりフラッグを振りながら踊りだす。カメルーンエリアでもジャパンカメルーンマッチフラグは人気者である。昨日のワークショップに参加した日本人もいたので、みんなで一緒にひと踊り!一気にボルテージは上がり!互いのチームへの応援ムードいっぱいである。まさにマッチフラッグの真骨頂!みんなで盛り上がっている風景がここに実現した!!
気がつくと試合がまさに始まらんとしている。ブブセラの音で試合開始のセレモニーの音楽もよく聞こえていなかった。
試合中はフラッグは空いていた客席の上にはわせて、フラッグを時折降りながら試合観戦に集中する。私の席はバックスタンド側、前半日本が攻めていたサイドのコーナーあたりの位置。
本田選手ゴーーーール!!目の前でゴーーーール!!そして、本田選手がその勢いでコーナーめがけて走ってきた!マッチフラッグを我々も振る振る振る!!!
スタジアムのビジョンを見たら、本田選手の背景にマッチフラッグが映っている!!こちらもゴーーーール!!ピッチ際でのフラッグゴーーール!!
【中略】
ものすごいよろこびようの人々がたくさんたくさんおりました。
こんなにきもちよくサポーターたちとハイタッチをしながら帰途をともにしたのはいつぶりのことでしょうか、あれはたしか2002年6月の横浜での試合で初勝利をした帰り、渋谷に戻って、スクランブル交差点での出来事でした。
やったやったやりました!アウェー初勝利です!!
ブルームフォンテーヌ空港に着くと、反町監督も大興奮!「岡田監督のほうがル・グエン監督より優っていた」と。
田嶋さんも満面の笑顔!
ここでも飛行機は遅れに遅れるが日本人は誰ひとり文句は言わなかった。
[おまけ]
早朝の出発。朝が早い土地柄なのか、国道には車の往来が多い。車には南アの国旗が揺れている。
サポーター同士で記念写真をとる姿もたくさん見られました。ワールドカップで世界の人々と接するのが楽しい様子。
(文責:日比野克彦)
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[ 10.06.13 23:20 ]カメルーン戦試合会場で前日練習
本日、日本代表チームはブルームフォンテーンフリーステイト競技場でカメルーン戦に向けての最終練習を行いました。
練習後、公式会見で岡田監督と長谷部選手が出席。メディアに対して明日の試合の抱負を語りました。
5月21日に埼玉に集合して以来、スイス・サースフェー、オーストリア・グラーツ、スイス・シオン、そして南アフリカに入りジョージ、ブルームフォンテーンと移動しながらキャンプを張ってきました。岡田監督が会見で言っていた通り、準備は整いました。
明日の初戦、皆様の声援にお応えできるように、全力を出し切りたいと思います。
こちらの時間で16時、日本時間23時、いよいよ日本のワールドカップが始まります。
(日本代表チームスタッフ)
[ 10.06.13 17:30 ]マッチフラッグタイムスVol2
6月13日 ヨハネスブルグ
今回のアフリカ大会に日本からやってくるサポーター達は前回と比べると10分の1にも満たないかもしれない。だがそれだけにこの地にやってくる人たちはワールドカップに魅せられた人種といえよう。私がワークショップ会場のホテルに到着すと、その人種たちがバスから降りてきた。日本の空気もひきつれて言葉数少なに建物の中に入っていく。
これから、マッチフラッグプロジェクトの最後の仕上げである。明日スタジアムに持ち込み、掲げる為の紐付け、補強、作業を行う。
ラウンジの椅子テーブルを片づけて、道具を出してワークショップ会場の雰囲気つくりから始まる。ホテルマンたちも協力的で面白がってくれているようであ る。フラッグをトランクから出して広げると、一気に場の様相が変わった。それまでちょっと遠まきに見ていた数人が「なにからやればいいですか?」と声を掛 けてきてくれた。針と糸で刺繍をしていきましょうか。浜松からきている矢野貴章選手の友人、金沢・大阪から来ている本田圭祐のサポーター、水戸から来てい る日本の闘利王の母などの女性陣が積極的にフラッグつくりに関わってきてくれた。
このちょっと郊外にあるホテルの近辺にはショッピングモールとレストランがあり、その中は自由に行動できるが、出かけることが出来るのはその中だけであ る。あとはホテルの中で時間を過ごすしかない。明日に試合を控えて高ぶる気持ちのバランスを取るには丁度いいワークショップなのかもしれない。「刺繍は ちょっとにがてなんですけど」という男性陣には紐の取り付けとか、フラッグを繋げたり、完成したフラッグを壁に掲示したり、と段々と役回りが出来てきて、 この場で出会った人たち同士の会話も聞こえてきた。
午後1時半になり、アルジェリア対スロベニアの試合がテレビ放送が始まる。客観的に観客として見ている立場なのだけれども、明日にはスタジアムでこのフラッグが行くのかと思うと、遠い遠いアフリカの地なのだけれど、もうすぐそこまで来ているのだなと不確実な臨場感を感じる。
午後3時、カメルーンのフラッグ(120㎝×90㎝)が36枚がつながり、480㎝×360㎝のビッグマッチフラグが完成した!みんなで表に持ち出し建物の横の斜面に賭けてみる。デカイ!鮮やか!アフリカン!みんなからも歓声があがる。日本で2ヶ月間かけて全国各地で作ってきた旗が南アフリカで一つになった!さて!戦いはいよいよ明日だ!
(文責:日比野克彦)
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[ 10.06.12 23:51 ]初戦の開催地ブルームフォンテーンに到着
日本代表チームは12日、ベースキャンプ地のジョージから初戦の試合開催地であるブルームフォンテーンに向いました。
大会期間中、全チームの南アフリカ国内移動は全てFIFAがチャーター機を手配することになっており、日本代表は午前9時過ぎに宿舎を出発し、ジョージ空港からブルームフォンテーンまでチャーター機で移動。空港からバスで約10分の宿舎に入りました。
14日のキックオフ時間と同じ16時から、大会側が用意した練習会場でトレーニングを開始。
ブルームフォンテーンは寒いと聞いていたのですが、練習開始時は18℃と過ごしやすい気候でした。
トレーニングは紅白戦やセットプレーの確認など2時間弱。
明日は試合会場での公式練習、明後日、いよいよ初戦のカメルーン戦です。
(代表チームスタッフ)
月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 |
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[ 14.03.05 12:04 ]
[ 14.03.04 13:06 ]
[ 13.11.19 07:09 ]
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