SAMURAI BLUE サッカー日本代表

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[ 10.07.14 10:43 ]Views from South Africa ~ K’s travelling notes 10 ~

「それで、南アフリカのこと、どう思う?」

ヨハネスブルグのサントンで乗ったタクシーの運転手も、すっかり顔見知りになった滞在先ホテルのフロントの女性も、異口同音に尋ねてきた。

彼らだけではない、大会取材のために滞在した約5週間、できるだけ多くの地元の人と話をするようにしてきたが、どの人との会話の中でもほとんど訊かれる。そして、こうも訊かれる。「またこの国に来てくれるかい?」

ジャーナリスト、それもサッカーに関わるという仕事柄、これまでにも数多くの国を訪ねてきたが、実際に現地に滞在する前と後で、これほど大きく印象が変わる国も珍しいかもしれない。もちろん、ポジティブに、である。

地元の人たちと話をすると、彼らはみな、ワールドカップの開催で生じる何かしらの変化を期待していた。インフラ整備、経済発展、治安の改善、他の国から来る多くの人との出会い、商売繁盛などさまざまだったが、中でも多かったのは国のイメージの改善で、冒頭の質問も、南アフリカの良さを知ってもらいたいという、彼らの切なる願いから出たことは言うまでもない。

同国のズマ大統領も「この国のよいイメージを世界へ示すことができた」と、大会終了を受けてコメントし、さらに「国民が融合できた」と喜んだ。

「いいところだろう?!悪いニュースばかりが外に流れすぎなんだよ!」と、半ば怒ったように話していたのは、やはりタクシーの運転手だった。

「駅も改装されて周辺一帯がきれいになったから、変な輩がいなくなったし、なによりもトレーニングを受けた警官の数が増えたかのがうれしいね」。そう話していたのは、ケープタウンのショップキーパーの男性だった。警察官の年俸設定が低すぎるから、成り手もなく、犯罪も減らないという悪循環が存在したと話した。

世界中から心配を集めていた治安問題は、大会期間中の警備体制のおかげもあって、大きな事件もなく終わったように思える。もっとも、ヨハネスブルグ地元紙は「本当に問題なかったのか、それとも、サッカー騒ぎでその手のニュースが報じられなかったのか不明」と皮肉たっぷりに評していたが、「この治安の良さを最も喜び、愉しんだのは地元南ア国民だ」と指摘した。おそらく、その通りではないだろうか。

 押し込み強盗やATMや両替所が絡んだ犯罪など、実際に起こっていたことは事実だ。前者はさておき、後者については、警察当局が大会開催前に動いて、その類の組織犯罪の元締めらを逮捕したのだという話も耳にした。大会をきっかけとして、体制が強化・改善されたのは喜ばしい。だが問題は、大会中に維持されていた安全が大会後も保たれるのかとう点だろう。

大会組織委員会CEOのジョーダーン氏は、大会開催でスタジアムや道路建設などインフラ整備を中心に、この国に新たな雇用を生んだことと、労働者が建設技術など新たなノウハウを取得したことを、成果の一つとして挙げた。だが、である。ここでも気になるのは、ではこのあとはどうなのか、ということだ。

 大会を成功裡に終えたことは評価すべきことで、なによりも、この国の人々の誠実な対応や真摯な姿勢をみると、彼らにはまだまだ大きな可能性が秘められているように感じた。それだけに、きっかけとノウハウを手に入れれば、さらにいろいろなことができるようになるのではないかと思うのだ。

きっかけは今回の大会で手に入れた。おそらく、いくつかの分野ではノウハウも手に入れたに違いにない。だから、大会後に彼らがどのように治安や経済などの国内問題に向き合って行くのか、とても興味がある。

 「これだけ大規模な大会は南アフリカでは初めてだし、人種や肌の色に関係なく、これだけ多くの人が白人も黒人も一緒になにかやるのは初めて。この国に住む人々がお互いを理解する、とてもいい機会になると思う」と話していたのは、治安の悪いヨハネスブルグからジョージに、引っ越してレストランを経営しているジャスティンさんだった。

彼女も新たな展開に期待していた一人だ。その彼女はこの1ヶ月をどう見たのだろう。そして彼女だけでなく、この国の人々やこの国を知った人々は、南アフリカのこれからをどう見るのだろう。

数ヶ月後か数年後か、やはり、もう一度訪ねてみたい国である。

Text by Kumi Kinohara

[ 10.07.12 19:39 ]Views from South Africa ~ K’s travelling notes 9 ~

ワールドカップがもたらす変化

 「変化ねぇ…。うーん、どうかなぁ…」

 ワールドカップ・南アフリカ大会で試合会場の1つになったケープタウンでサッカースクールを開いているクレイグ・ヘップバーンさんは、そう言って首をひねった。

大会も終わりに近づいた頃、ワールドカップ開催で、彼のアフリカン・ブラザース・アカデミーというスクールに通う子供たちや運営に何か変化はあったかと訊いてみた時のことだ。

彼のスクールには、テーブルマウンテンの麓に近い住宅街の一画を通りかかったときに、子供たちがボールを蹴っているのが目に停まって、立ち寄らせてもらった。南アフリカをはじめとするアフリカの子供たちにサッカーを広めようという始めた活動は、今年で14年目になるといい、この場所以外にもタウンシップでもスクールを開いているという。

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 オランダ対ウルグアイの準決勝第1戦が地元のグリーンポイントスタジアムで行われた翌日の7月7日、良く晴れた青空の下で、日本で言えば小学校の低~中学年くらいの子供たちが、10人ほどシュート練習に励んでいた。

黒人やカラードが多いが、中には、快進撃を続けているオランダのファンか、オレンジ色のシャツに身を包んだ白人の子供もいる。肌の色は違っても、どの子も実に楽しそうに何度もプレーを繰り返していた。

「サッカーには文化も人種の違いもない。子供たちはサッカーを通していろいろな世界とつながることができる」とクレイグさんは話す。

現在、常時スクールに通う子供たちは白人8人を含む35人ほど。モザンビークなど南アフリカ以外にも活動を広げているが、多くの場合、スクール開校はグランドの確保と荒地の整備から始まるという。

学校跡地を利用したケープタウンのこのグランドも、現在でこそ柔らかそうな草に覆われているが、かつては背の高い草に覆われた荒地で、ロッカールームに利用している建屋も、浮浪者が寝泊まりし、「衛生的にとてもひどい状態」だったとクレイグさんは振り返る。そこを、文字通り自分たちで清掃し整備を重ねて、サッカーができる場所を確保した。シューズやボール、ビブスやマーカーなど、トレーニングに必要な用具や、設備の修理に必要な道具は、活動に賛同してくれる企業や理解者の寄付や物品提供で賄ってきた。

南アフリカでは長い間続いたアパルトヘイト政策の影響で、肌の色によって教育の場も、生活の場も分けられてきた。白人の子供たちは、学校でラグビーやクリケットとともにサッカーも教えられないわけではないが、黒人が多く好んでプレーしてきたサッカーは、白人には観戦の機会もなければ、学校以外で活動の機会もなかったという。それが自然と、白人はラグビー、黒人はサッカーという大きな区分けを生んだというのだ。だが、スポーツだけでなく、多くの障害と問題をもたらすことになった人種隔離政策に終止符が打たれたのが1991年。わずかに、20年前のことにすぎない。

 「南アと日本は共通点があると思っている。日本の第2次世界大戦後の短期間での復興の素晴らしさを見たら、アパルトヘイト政策があった南アも、日本から学べることあるんじゃないか、とね。僕らは日本のサッカー事情やアカデミーや指導のことを知りたいと考えているんだが、日本の人たちは僕たちの活動には興味はないだろうか」。

ワールドカップを開催し、できるだけ速やかに国際社会での地位を築きたいと願うのは、この国の経済だけではない。日本の戦後復興に、サッカーでもこの国の発展を重ねて可能性を探りたいと考えるのは、無理もないことかもしれない。

彼のスクールを手伝うコーチの一人のディノさんは、「子供たちが、どんどんプレー出来るようになるのを見るのは楽しいよ」と話す。

モザンビーク出身の若干20歳の黒人青年は、毎朝、子供たちに教えている。最年少は2歳半だという。彼自身も、以前はモザンビークの2部でプレーしていたが、教える楽しさに気付いたのだという。

「最初はFWだったんだけど、どんどん後ろに下がっていって最後はDFだった。後ろから仲間にコーチングするのが好きだったんだ。で、コーチになろうと思ったんだ」と言って笑った。

 クレイグさんたちは、今後は施設を充実させて、サッカーだけでなく、子供たちが空き時間に宿題などの勉強ができる場所を提供しようと計画中だという。

教育の普及はこの国が抱える大きな問題の一つだ。世界的に悪名が高い犯罪率の高さに直結している。アパルトヘイト政策が生みだした大きなしわ寄せの一つだ。ワールドカップ大会の地元中継局のSABCも、“1 GOAL”というキャッチフレーズで展開している教育基金への参加を呼び掛け、大会中にはキャスターがキャンペーンTシャツを着るなど、多くのPRを展開していた。

サッカースクールの場を活用して、サッカーだけでなく、勉学にも親しめる機会を設けようという試みは、小規模ではあるが、この国を少しずつ変えて行こうという、彼らの熱意の表れでもある。

 そういう話を熱く語ってくれていた時に、クレイグさんの携帯が鳴った。

 「白人の家庭の御子さんが、ワールドカップをみてサッカーを始めたくなったから、スクールに入れないかって」。電話を切ったクレイグさんがそう教えてくれた。

 変化は、少しずつ起きているのかもしれない。

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Text by Kumi Kinohara

[ 10.07.10 15:22 ]Views from South Africa ~ K’s travelling notes 8 ~

南アフリカ、空の怪

ヨハネスブルグからケープタウンへ向かう飛行機で一緒になったミシェルが、隣の席で文字通りポカンと口を開けて前方を見ている。彼女の視線の先にあるのは、この便のフライトアテンダントの女性だが、確かに目を奪われる。なぜなら、身長2メートルはあろうかという“大女”だからだ。

 

「こんにちわぁ。ご搭乗ありがとうございまぁす」と、機内に乗り込むと、屈託ない笑顔で挨拶された。長い付けまつげとネイルが見事だ。それに肌の艶もいい。いや、お世辞抜きで。

 

離陸前に行われる、救命胴衣の着方などの緊急脱出時についてのアナウンスも、“彼女”が笑いの要素を獲り混ぜて艶やかに読み上げ、機内から笑いを誘った。

 

実は、クルラ運行のそのフライトは、ヨハネスブルグ空港で発生したコンピューターのシステムトラブルで、搭乗手続きが大幅に遅れ、機内に乗り込んでから離陸までも、さらに数十分待たされるという、本来ならば乗客から大ブーイングが起こりそうな状況だった。だが、カイの存在とユーモラスなアナウンスで、機内は和やかな雰囲気に変わっていた。

 

“彼女”の名前はカイ・ルーラ。クルラの正規のフライトアテンダントではないが、週に2度、ヨハネスブルグ―ケープタウン間のフライトに特別搭乗している。

 

クルラは、いわゆる格安航空会社の一つでだが、“彼女”以外にもユーモラスなアナウンスをして笑いを獲ることで知られている。南アフリカのある空港到着時には「ジンバブエへ、ようこそ!」とアナウンスして乗客の爆笑を誘い、またある時は、ラップ調の緊急脱出時の案内を披露して拍手喝采を浴びるなど、芸達者な乗務員が多く、“芸風”はさまざまだ。

 

カイ・ルーラも、この類のジョークが好きなアメリカ人を中心とした乗客には大受けだが、中にはミシェルのように、驚くばかりというリアクションもある。

 

フリーステート州出身のミシェルは、当地に多いオランダ移民の末裔の伝統的なアフリカーナーで、ご主人はプライベートジェットのパイロットでラグビーを嗜む。つまり、古き良き時代の男らしい男をよしとする家系で育ったようで、それだけに、カイのような“女性”は「信じられない」存在なのだという。カイに興味津々で話しかけたい筆者を、「近くに来させないで!」と必死に制止していた。

 

カイの正体はブレンダン・ファンラインさんという、正真正銘の役者さんだ。この5月までミュージカル・コメディの“Mile High – with Cathy Specific”を4ヶ月間上演してきたばかりだ。

 

このミュージカルも、ブレンダンさん扮する女性フライトアテンダントを中心にした話で、共同で自ら脚本も担当した。南アフリカ出身のブレンダンさんは、イングランドでミュージカル音楽を勉強後、母国に戻って舞台や映画などで活躍を続けてきたが、その後、南アフリカ航空で6年間フライトアテンダントとして世界を飛び回ったという。キャシーも今回のカイ・ルーラも、その経験から誕生したキャラだ。

 

 「芝居と飛行機が好きで、なんとかこの2つを組み合わせられないかと考えたのが最初。身長2メートルの付け睫毛が素敵な女性は目を引くかなと思って」とブレンダンさん。

 

素顔がさわやかな32歳の青年だが、化粧には3時間半かけ、ヒールも履いて滑らかな歩きを見せる徹底ぶり。艶やかな肌はエステにでも行っているのかと訊いてみると、「まだよ。これからかしら」とカイが応えてきた。

 

「フライト最初のアナウンスメントはとても重要。こちら側にお客さんを引きつける絶好の機会だし、これから始まるフライトがとても楽しくなるんじゃないかと感じてもらえるように気を配っている」と話す。

 

アナウンス以外にも他のフライトアテンダントと共に飲み物のサービスも行うが、2時間のフライトの全てが彼、いや“彼女”の舞台なのだ。

 

ケープタウン到着後、大幅に遅れたフライトを速やかに出発させるためのアナウンスも忘れない。

 

「あのね、このあと私とキャプテンはデートなの。だから、みんなできるだけ早く機内から出てね。よろしくー」。

 

カイ・ルーラはワールドカップ期間中の特別企画だというが、多くの乗客から記念写真を頼まれ、時には電話番号を渡されることもあるといい、人気キャラになりつつある。ワールドカップ後がどうなるか、気になるところだ。

 

今後について訊いてみると、「そうね、いつか私専用の航空機を手にして飛んでみるのもいいわね」とカイ。

 

2時間の舞台付きのフライトは悪くない。

 

 

 

Text by Kumi Kinohara

[ 10.07.09 20:16 ]Views from South Africa ~ K’s travelling notes 7~

ネット放浪とゲストハウス

 またか―。

こう何度も起ると、さすがにもう驚かない。ラップトップPCの右下に出る「吹き出し情報」の注意にも見慣れてきた。「限定または接続なし」やら「未接続」は当たり前で、ひどい時には、「範囲内にはネットワークが見つかりませんでした」とくる。いやいや、ネットワークはあるんだって。ただ、十分に機能していないだけで…。

インターネットがつながらない、あるいは、頻繁に切れるなどの現象は、南アフリカで滞在中、頻繁に直面してきた。

ホテルでもゲストハウスでも無線LANの場合が主流で、この場合、設置されているLANのアンテナ(というのだろうか)と自分の部屋の位置関係によって、LANシグナルが「非常に弱い、弱い、中、強い、非常に強い」と変わる。その基本的な条件とは別に、単に“キャパシティオーバー”という状況が少なくない。

特に、個人経営のゲストハウスの場合などでは、多くの人間が特定の時間帯に一度にアクセスする状況や、一人の人間が写真や原稿など、重いファイルを送信するという状況を想定していないようなのだ。

もっとも、この国のいくつかあるプロバイダーの中でも当たり外れというか、安定度の良し悪しがあるらしく、単純に、そのゲストハウスやホテルがどこと契約しているかにもよる。

先日、ケープタウンで利用したゲストハウスは、非常にレベルの高いサービスを提供する、設備も整った、実に快適な場所だったのだが、突然、滞在中に無線LANがダウンした。これには経営者も大慌てで、訊けば、契約しているプロバイダーのケーブルに異常が発生したために、ウェスタンケープ州一帯で機能が止まったのだという。復旧の見込みは不明。この国ではありがちな返答なので、これにももう驚かない。日本のようにネットカフェが乱立しているわけではないので、インターネット接続が可能なカフェを探して、町をさまようだけだ。

一方、日本代表チームがキャンプ地としていたジョージでお世話になったゲストハウスでは、期間中、日本人ジャーナリストが複数滞在したためか、夜から朝にかけて不通になる現象が続いた。そのため、最初の数日は毎朝、オーナー夫妻がゲストハウスにやってくると(別の場所に住み、夜間は管理人も不在という場合が少なくない)、ご主人がメインターミナルのスイッチを入れ直し、屋根に上ってアンテナをチェックするという作業が続いた。

ところが、試合で各地を転戦して再び同じゲストハウスに戻ると、このオーナー夫妻から「ネットはもう大丈夫なはずだよ」と告げられた。キャパシティに問題があると判断した彼らは、なんと、契約プロバイダーを変えたというのだ。「こういう問題があるとは知らなかったから、おかげでいい勉強になったよ」とまで言ってくれる。経営者としての姿勢に恐れ入った。もちろん、その後、このゲストハウスで快適な仕事環境を手に入れたことは言うまでもない。

ちなみに、接続には時間やデータ量に応じてバウチャーを購入して利用というシステムのところが主流だが、なかには無料のところもある。仕事柄、接続時間やネットで調べ物をすることが多い身としては、安定した接続で無料というのがありがたいが、まだそこまでは期待しすぎのようだ。

ヨハネスブルグからダーバンへ向かう飛行機で出会った地元のビジネスマンは、「確かに、この国のインターネットは遅いし、安定していない。全国的にそういう状況だが、これでも数年前に比べれば、ずいぶん良くなった方だ」と教えてくれた。

南アフリカのゲストハウスは、下手なホテルに泊まるよりも、よほど快適な空間を与えてくれると評判だ。たいていは、ボリュームのある英国式朝食付きで、適度にアットホームな雰囲気があり、滞在中は部屋の鍵以外に門と母屋の鍵を渡されて、出入り自由のマイペースな生活を楽しめる。紅茶・コーヒーやミニバーをはじめ、バスルームなど部屋のアメニティはもちろん、それぞれのゲストハウスで趣向を凝らしたラウンジがあり、この違いがまた楽しい。英国の統治下に置かれていた歴史的背景から、英国のB&Bやゲストハウスに通じるところがあるのだが、クオリティと料金、そして人の良さという点では、南アフリカに軍配が上がると感じた。

一般に、ジョージを含めた地方の町にでは、ホテルよりもゲストハウスの方が多いという地域が少なくない。しかも、南アフリカは、今回のワールドカップの成功を多くのビジネスチャンスにつなげたいと国として考えている。地方に市場機会を求めて訪れたビジネス客がゲストハウスを利用する機会も増えるかもしれない。ネット接続さえ安定していれば、ゲストハウスほど快適な空間はない。となれば、全国的なインターネット接続環境の整備も、経済発展促進を支えるためには忘れてはならないチェックリスト項目ではないかと思うのだが、余計なお世話だろうか。

Text by Kumi Kinohara, sports journalist

[ 10.07.06 10:21 ]Views from South Africa ~ K’s travelling notes 6 ~

混乱のシャトルサービス

 ルステンブルグの試合会場へ行くメディア用のシャトルバスをホテルの玄関先で待っていると、それと思しきバスがやってきた。と、20メートルほど手前のホテルの入り口で止まったまま、なかなかこちらのピックアップポイントに来ない。予定されている出発時間はとうに過ぎているというのに、まるで動きがない。見ると、30~40人ほどのウルグアイ人サポーターに取り囲まれている。なんと、サポーターの“シャトルジャック”だった。

 “事件”が発生したサンシティのホテルからルステンブルグの競技場まではバスで小一時間の距離。交通手段が欲しいのは理解できるが、これぐらいの規模のグループにもなれば、普通なら事前にバス1台をアレンジするぐらいのことはしそうなもの。だが、彼らはたまたま見つけたメディアシャトルのドライバーに乗せてくれるように頼み込んでいたのだった。無論、タダで。

 結局、試合会場の輸送担当者に携帯で連絡を取りながら20分ほどを費やして交渉した結果、担当者の好意でウルグアイ人サポーターの一団は、これに乗せてもらえることになった。ご満悦だったのは言うこともない。もっとも、乗るや否や、暑いからエアコンを効かせろ、前に座らせろと、わがままぶりを発揮。これには、同乗のイングランド人カメラマンの一行もさすがに呆れていた。

日本や欧州などの一般的な国なら、かなり稀なケースと言えそうだが、ルステンブルグ市内のホテルから競技場に向かった別ルートのメディアシャトルでも似たような騒動があったという。こちらはメキシコ人サポーターの一団だが、同乗してきた人の話によると、ウルグアイ人サポーターよりはおとなしかったようだ。

南アフリカの人々にとって、交通難は他人事ではないのだろう。多くの場所で公共の交通網が整備されていないため、日本や欧州にあるような、都市間や都市内を走る鉄道網もない。自分で運転する車がなければバスが頼りだが、そのバスも運行区間は限られている。ヨハネスブルグ北部のサントンなど、都市によっては、朝夕の通勤・帰宅時間帯に特定の場所から出ているミニバンの乗合バスもあるが、それらがないエリアではヒッチハイクが重要な移動手段になり、それも叶わなければ自分の二本の足と体力を頼りに歩くしかない。

 そういう背景があるから、当地のドライバーも困っている人を無視するわけにはいかなくなるのだろう。実際、ブルームフォンテンでもルステンブルグでも、非常に気軽に「ルート外」、あるいは「時間外」のシャトルサービスを提供していた。

 それはありがたい半面、同時にそういうイレギュラーな稼働が全体の運行状況に小さくない混乱を招いていたのも、また事実だ。とにかく時間通りに走らない。予定時間の10分前に出ることもあれば、45分から1時間近くも遅れて出ることもある。サッカーシティでの開幕戦や、ヨハネスブルのエリスパークでの試合など、2時間待ちはざらだった。

そもそも地元の人々には時間の観念がかなりアバウトなところがあるのだが、そこに、「乗客」が一人の場合などは「動かすのがもったいない」、時間が過ぎても「誰かが来た時に、いないと困るだろう」という発想が加わる。助け合いの気持ちは素晴らしいと思うのだが、メディアにとっては時間を計算できない、つらい状況になる。なんのための運行スケジュールか、時差付きで締め切りを抱えているメディアにとって、時間がどれほど貴重か、などということは残念ながら考慮に含まれていない。それもこれも、彼らの日常が反映されてのことにほかならない。

 「ワールドカップの開催でヨハネスブルグの道路はよくなった。ソウェトに行くのに、こんなにきれいな道路ができて快適だよ。交通網ももっと整備されるといいな」。

そう話していたのは、大会開幕直前に出会ったヨハネスブルグのタクシードライバーだった。彼と同じように、大会開催をきっかけにしたインフラ整備に期待する声は各地で耳にした。特に、町が点在しているような内陸部の地域では、各地域をつなぎ、一般の人が気軽に利用できる交通網の整備は人々の生活に直結する。彼らの今後の発展に欠かせない重要課題の一つだと感じた。

Text by Kumi Kinohara

[ 10.07.06 10:16 ]Views from South Africa ~ K’s travelling notes 5 ~

冬のち夏、そして秋?

「ダウンジャケットを持っているなんて、ちょっと間抜けに見えるよね」。

「まあね。でも僕も同じだ」。

 そんな会話を飛行機の隣の席になった地元の人と交わしたのは、ヨハネスブルグから乗った飛行機がダーバン空港に着いた時だった。

到着前の機内アナウンスが現地の気温を16度と伝え、飛行機の窓から見える外の陽射しも柔らかく、実際に飛行機から一歩外に出ると、前夜の氷点下の気候が別世界のように感じたれた。

 南アフリカの広さや多様性を最初に実感するのは、訪ねる先々での気温とそれによる景色の変化かもしれない。

この冬初めてという雪の便りを聞いたのは、ブルームフォンテンで日本がカメルーン戦に勝利を収めた翌朝のこと。「山は雪ですって!この辺も明け方にちらちら舞ったのよ」と、6月15日の朝、滞在していたホテルの女性が教えてくれた。

前日の試合は午後4時開始だったこともあって、スタジアムで冷え込みを感じることもなかったし、この日の朝、ホテルの窓越しに見えた青空や陽射しにも大きな変化はなさそうに見えた。それだけに、フロントの女性の話は俄かには信じがたかったのだが、一歩外に出た途端、吹きつけてきた風の冷たさに自分の認識の甘さを身をもって感じた。

 それからの数日間、この国には寒波が居座った。

 初雪の知らせが届いた翌日、ヨハネスブルグからダーバンへ向かう飛行機から、白く雪化粧をした山脈を見た。赤茶けた大地に突然白いエリアが表われて、まるで、透明なガラスカップにきれいに注がれたカプチーノのような、柔らかなコントラストをつくっていた。

カプチーノを連想させた山々はドラケンスバーグ山脈という。南アフリカで最高峰の3000メートル級の山々で、同国中央部から東寄りにあるレソト国を取り囲むように連なっている。寒波はその周辺から、北はプレトリアやネルスプリット、南西はケープタウンまでをすっぽりと覆い、北部には連日、霜注意報が出されていた。

 だが、インド洋に面した港町のダーバンは、陽射しも風も初夏のそれを思わせる「トロピカル」な土地だ。ヨハネスブルグから南東へ550キロほども下れば、それも道理かもしれない。

クワズル・ナタール州のこの地域には、英国の田園風景を連想させるような、なだらかな丘陵が続く。だが、その丘を覆う、麦のように見えたものはサトウキビだという。沖縄あたりに広がるサトウキビ畑のイメージとずいぶん違う印象だが、作物の背丈がまだ低いためか。この収穫のために、その昔、インドから多くの人々が移住させられた。その関係で、現在でもダーバンは南アフリカで最大のインド系住民の居住区として知られている。

町の北側に位置するダーバンスタジアムは海の近くにあり、ビーチ沿いにはヤシの木が並ぶ。冬でも暖かく、Tシャツに短パンでビーチを闊歩する観光客も少なくない。

それでも、陽が落ちると気温が急激に下がるので、ジャケットなどの防寒具は手放せない。実にめまぐるしい変化だが、この1日の寒暖の差の激しさが、この国の気候の特長の一つでもある。

 南西のケープタウンでも天候の変化は激しい。晴れれば冬でも気温が20度ぐらいまで上がり、頭上には抜けるような青空が広がって、まるで秋の1日という感じだが、そんな晴天は冬には珍しく、いつもなら、冬は激しい雨が続くことが多いという。確かに、ケープタウンで開催された試合は、準々決勝のドイツ-アルゼンチン戦を除いて、グループステージ3試合はすべて雨の中だった。7月7日に行われるウルグアイ対オランダの準決勝も、天気は下り坂という予報が出ている。

やはり、雨具とダウンジャケットは手放せないようだ。

Text by Kumi Kinohara

[ 10.07.05 11:32 ]Views from South Africa ~ K’s travelling notes 4 ~

フリーステートの呪縛~ブルームフォンテンのもう一つの顔~

日本代表はワールドカップ・南アフリカ大会決勝トーナメント1回戦で姿を消したが、国外で行われた大会で初勝利を挙げ、さらに決勝トーナメントに進出したことは、日本サッカーの今後にとってポジティブな刺激になった。そして密かにもうひとつ、今回の活躍でぬぐい去った“記録”があった。

 それが生まれた場所は、今回、日本代表がカメルーンと初戦を戦ったブルームフォンテンのフリーステート・スタジアム。時は1995年に遡る。同じくワールドカップと称する大会だが、競技が違う。ラグビーだ。

95年ラグビーワールドカップは、黒人を中心とした人種差別のアパルトヘイト政策が撤廃後に、ネルソン・マンデラ氏が初の黒人として同国大統領に就任して初めて開催された、大規模国際スポーツ大会だった。そこに日本も出場していたのだが、いわゆるグループステージ3戦目でニュージーランド・オールブラックスと対戦し、17-145という史上最悪のスコアで惨敗した。それがこの競技場だった。

 この大敗が日本ラグビー関係者の心に大きな傷として残ったことは言うまでもないが、不名誉な記録はトップニュースとして当事者のニュージーランドや日本、開催地の南アフリカだけでなく、世界中を駆け巡り、当時、英国でサッカーを取材中だった筆者も、日本人と分かると、行く先々でからかいや憐みや同情の声や目を向けられたものだった。

「日本」という枠で捉えるなら、フリーステート・スタジアムは、そういう呪縛のかかった、実に縁起の悪い場所だったのだが、しかし、サッカーの日本代表は堅実な戦略で国外のワールドカップで初の勝利をマーク。呪縛とは無縁だったことを示し、当時を知る人々の塞いだ気持ちを解放してくれたのだった。

 そればかりか、サッカーの日本代表チームはこの日初めて代表戦を観たという人々を、その勝利と力強いパフォーマンスで惹きつけた。ケニアのナイロビから観戦に来たという日本人の若い医師のカップルは、熱心なサッカーファンというわけではなかったというが、カメルーン戦後は日本代表チームの動向とワールドカップをフォローするようになったという。そして、グループステージ突破を賭けたデンマーク戦は、どきどきしながら見守ったと話した。

パフォーマンスに対する正当な評価は、ブルームフォンテンが南アフリカの最高裁判所を設置する、司法上の首都たるゆえんだろうか。いずれにせよ、日本人のこの町に対する印象をポジティブなものに塗り替えたことだけは確かなようだ。

Text by Kumi Kinohara

[ 10.07.04 15:37 ]Views from South Africa  ~ K’s travelling notes 3 ~

代表チームがもたらした転機 ~キャンプ地のキーパーソン~

 カレンダーが7月に変わった頃、ワールドカップ・南アフリカ大会で日本が大会中のキャンプ地にしていたジョージ市の広報担当者から、一通のリリースがメールで届いた。すべての日本代表チーム関係者が当地を後にし、ジョージ市はキャンプ地の役目を終えた、と。

 6月6日にスイス合宿を経て到着して以来、決勝トーナメント進出に伴って当地を離れるまで、チームは試合が終わるたびにジョージに戻って調整を重ねた。選手が「サッカーに集中できる」と話した快適な環境は、多くの地元関係者の支援があってもたらされたものだった。

 その中のキーパーソンが、キャンプ地コーディネーターのウィル・ムーディさんだ。

 ウィルさんは英国レスター出身でプロの写真家だったが、4年前、家族と共にジョージに移り、当地でサッカーの指導者として活動を展開。ラグビー一色で、サッカーとはまるで無縁だったジョージの町に、新たな競技と楽しみを紹介した張本人だ。

 4年の間に彼の活動は多くの地元の人々の賛同を得て、現在では自らが立ち上げて監督も務めたジョージ・ユナイテッドFCを中心に、約450人の子供たちがキッズサッカーやジュニアリーグでプレーを楽しみ、来年には500~600人規模になる見込みだという。

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6月7日の一般公開トレーニングには3500人の市民がスタジアムに集まりました

 町で唯一のサッカー人として広く認められていた彼は、2010年ワールドカップの南アフリカ開催決定で、「なにかをしたい」と考えたジョージ市にとっては最高の相談役となった。ウィルさんも、どんなチームに働きかけをすべきか、サッカーの練習場にはなにが必要かなど、さまざまなことをアドバイスしてきたという。そんな彼がジョージ市からキャンプ地コーディネーターを任されたのは、当然の流れだった。

 日本代表チームの受け入れが本格化したのは今年に入ってから。まず取りかかったのが、練習場になる競技場の整備だった。

 地元ラグビーチームの本拠地であるアウテニクア・パーク競技場の芝は、サッカーには向かないタイプだったため、3月上旬に全面張り替えを実施。加えて、冬場の雨に対応するため、水はけを良くするための装置も設置。そのおかげで、チームが滞在中に約1年半ぶりという大雨に見舞われたが、ピッチコンディションが崩れることはなかった。

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キャンプ期間中、ピッチの問題は全くなかった

 「そのぐらいかな」と、日本代表を迎える準備の苦労を訊いたところ、「大したことはしていないよ」とウィルさんは笑った。

 「本当のことを言うと、日本の誘致が決まった時、ちょっと地味な感じを受けたんだ。サッカー伝統国じゃないからね。でも、いまでは来てくれたのが日本で本当によかったと思っている。これほど気持ちよく仕事ができる人たちは他に知らないし、僕自身、とても楽しんで仕事ができた。選手もスタッフもチームの人たち、みんながとても楽しんでいる感じがしたし、ユーモアのセンスもあって、毎日顔を合わせるのが愉しみだった」と言う。

 ある日、チームスタッフとの会話で、ウィルさんのスタッフに本田のファンがいることが話題になったという。すると、練習を終えた本田がその彼女のところに来て言葉を交わしたのだという。気さくでちゃめっ気のある選手やスタッフの対応に感心したと言う。

 「僕のスタッフは数人いる運転手も含めて、みんなすっかり日本贔屓になったよ」と話し、日本がオランダに負けてキャンプ地に戻った時も、「僕らは彼らのことを信じていたから、『デンマークには絶対に勝てる』と、みんなでチームにぱっぱをかけたんだ。僕らの方が彼ら以上に前向きだったかな」と振り返る。

 ウィルさんや彼のスタッフは、練習場の隣に設営されたメディアセンターで日本の試合を欠かさずに観戦して、熱心に応援を続けた。ウィルさんの10歳の息子のマシュー君は、チームが到着する前から写真入りの大会用チーム紹介本を入手して、選手の顔と名前とポジションなどを熱心にチェック。日本戦を見るのはもちろん、練習場にも毎日のように足を運び、今では熱烈な日本ファンになった。

 それだけに、日本が当地を去ることを親子でとても悲しんだ。

 ウィルさんは、「3週間なんてあっと言う間だね。最初は結構長いんだろうなと思っていたんだけど。最後はもっといてほしいと思ったし、別れるのがとてもさみしいし残念だ」と話した。

 ウィルさん自身、南アフリカ滞在延長が切れるため、ワールドカップ終了後は英国に戻ることになっている。だが、今回、日本代表チームとキャンプ地コーディネーターとして関わった経験で、今後の進路が変わりそうだと言う。

 「とてもいい経験になったから、この分野でなにかできないか探してみようと思うんだ。再来年はロンドン・オリンピックがあるから、また日本チームの手伝いができるかもね」。ウィルさんはそう言って微笑んだ。

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日本代表がチームを離れる日、チームスタッフと記念写真に収まるウィルさん親子

Text by Kumi Kinohara

[ 10.07.02 20:48 ]マッチフラッグタイムス Vol.21 アフリカ、落日、大気圏

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7月2日 アフリカ、落日、大気圏

 ホテルの片隅には、いつも西鉄さんのオフィスと化していた一角がある。 試合のチケットの手配、航空券の変更、オプションツアーの申し込みなどなど、日本サポーターにとっては、心強い場所であった。多い時で5 人程いたスタッフも、今日帰国する松本さんで最後である。誰もいなくなった、元西鉄旅行社出張所には、かわりにサポーターたちが置いていった食材が山積みになっている。最後に残ったわたし達も、昨晩多少減らしたのだか、到底追いつかず、ホテルマンたちへあげることにした。
 人が生活していくには物がいる。日本チームの食材はどうしたのだろうか? まあ規模は違うが、似た様なことになっているだろう。

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 地元の新聞には、岡田監督がヨハネスブルグ空港から帰国する様子やこれまでのベストゴールで本田と遠藤が選ばれていたりとか、ワールドカップはまだ終わっていないのに、やはり日本が残っているのといないとでは全く別のワールドカップである。

 

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 ホテルのロビーで日本のメディアの人と話をした中で「これからは、もうひとつのワールドカップに集中して取材できます」という言い方があった。自国の取材をするのと、他国の取材をするという二つの取材は別物であるということであろう。わかるような気がするが、その取材があたりまえのように一つになった時が文化としてのサッカーの取材が出来る時のような気がする。
 松本、カルロス、私の三人で空港に向かう。白いテントが見える。それがFIFAターミナルなるものであると松本さんが教えてくれた。これはワールドカップ開催中の暫定的な建物で、チームはここを使って出入国をしているという。昨日日本チームもここから出国していった。チーム専用のパスポートコントロールでスムーズに搭乗できる反面、中には免税店的なものは何もなく、土産も買いたくても買えないらしい。
 商魂たくましいFIFAならば、参加32カ国チーム専用OFFICIAL SHOPをここに作っていれば、選手・コーチたちはスタジアムで買えなかった分(当然その気分ではない)それぞれがワールドカップを終えて、気兼ねなく買えたのに、そうとうみんな大人買いして儲かったかも。

 

 3人は普通のターミナルなので、適当にランドが余らないように土産も買えました。みな航空会社がばらばらだ。私はバンコク経由のタイ航空で帰国する。帰る先は一緒でも、飛行機が違うから、みんなとヨハネスブルク空港で別れる。ここは南アフリカだけど、搭乗したらもうそこは日本である。搭乗口でジョージでマッチフラッグを手伝ってくれたTBSのクルーと会う。お疲れさまでした。バラグアイ戦の視聴率は64%(※1)でした。と日本の盛り上りを教えてくれた。搭乗ゲート脇にもショップがあり、アフリカのお面とか、

 

アンティークの品々が売っている。今年の三月にカメルーンにNHKの取材に行った時に買ったのと同じキャラクターの王様の能力を表現しているゾウのお面があった。その横に初めて見るビーズで出来た祭事用の帽子のアンティークがある。ちょっと気になるが、時間もないので何も買わずに搭乗口に行くと、出発が遅れているようだ。ならば、と戻ってひとつ祭事の帽子を買ってしまった。よくやるパターンである。

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 窓の外には南アフリカの海岸線が見えた。このアフリカの大地で人類は生まれ、100万年かけて地球上を移動し、世界各地に文化を築いてきた。そしてそれぞれの地域でのサッカーという表現を持って再びこのアフリカの地に集まってきた。このアフリカに来ることが出来てほんとうに良かった。世界中の人がアフリカに集うそのタイミングに帰ってくることが出来て幸せだった。アフリカの空はサムライブルーに光っていた。

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 機内ではワールドカップ特集番組が放送されていた。各グループリーグの戦いぶりが編集されている。その中に日本対デンマーク戦の様子が流れ、応援席が映った時にマッチフラッグがしっかりとその背景に映っていた。この機内に積み込んであるマッチフラッグがワールドカップの記憶としてしっかり記録されていた。自分たちが南アフリカに来なければ、その映像は当然なかった。時間というものが織りなす不思議な体験であった。ひとつひとつの行為が形になっていくということは、不可視な時間の中で生きている自分自身の存在を確認することとしても重要なことである。

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 窓の外の光が段々と赤くなってきた。夕焼けである。飛行機の位置を知らせる案内を見ると、マダガスカル島上空である。

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 10年ほど前にしたマダガスカルの旅を思い出す。「星の王子様」にも出てくるマダガスカルの西部にあるバオバブの林に行った時のことであった、その日の夕焼けは凄かった。西の空から赤くなり、段々とその面積が広がり、ついには東の空まで赤くなった。それはモザンビーク海峡を挟んで西にあるアフリカ大陸の影響だとマダガスカルの人が言っていた。そのことを思い出し東の空をも見てみたらほんとに東の空のほうまで赤くなっている。地球上の大陸は最初は一つであった。パンゲアと呼ばれる大陸移動の中心はこの真下のマダガスカルである。

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この地点を中心に大陸は移動していったのである。だからここの夕焼けは360度なのだろうか?機上での太古に馳せる浪漫的な想いである。
 宇宙につながる大気圏はみるみるうちにその色を変えていった。漆黒の夜空に星が一つ見えた。華やかな舞台であるワールドカップはまだ世間の注目を浴びながら、あの光のもと南アフリカの地で開催されている。しかし既に今日現在でベスト8を残す、それ以外の24の国はその光を浴びる舞台からワールドカップ大気圏外へと光の元から去っていった。しかし光輝の中では見えなかったその価値が夜空に見える星のように、しっかりと星の声を24のサポーター達は見続けていることであろう。

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※1)
のちの調べでは平均57.3%、瞬間最高64.9%でした。

(文責:日比野克彦)

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 Vol.2 [6月13日 ヨハネスブルグ] 
 Vol.3 [6月14日 カメルーン戦観戦記] 
 Vol.4 [6月15日 ヨハネスブルグからジョージに空路移動] 
 Vol.5 [6月16日 ジョージ] 
 Vol.6 [6月17日 3戦分がそろい踏み 快晴のジョージに翻るマッチフラッグ] 
 Vol.7 [6月18日 ジョージからダーバンへ] 
 Vol.8 [6月19日 ダーバン オランダ代表] 
 Vol.9 [6月20日 サッカーシティ観戦記] 
 Vol.10 [6月21日 ヨハネスブルグ スペイン-ホンジュラス観戦記] 
 Vol.11 [6月22日 20年前の記憶を辿り、アパルトヘイト時代の黒人居住区を訪ねる] 
 Vol.12 [6月23日 デンマーク戦前日ワークショップ] 
 Vol.13 [6月24日 ルステンブルグへ、デンマーク戦いざ] 
 Vol.14 [6月25日 フラッグ再起動!買い出し編] 
 Vol.15 [6月26日 新たな気持ちでパラグアイとのマッチフラッグを制作] 
 Vol.16 [6月27日 ケーナーコー(ついにその時が来た!)] 
 Vol.17 [6月28日 太宰府で制作したマッチフラッグが到着] 
 Vol.18 [6月29日 明日へ] 
 Vol.19 [6月30日 楽日は次につながる初日である] 
 Vol.20 [7月30日 ブブゼラの音は風に乗って] 

 

日比野克彦

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[ 10.07.01 20:55 ]マッチフラッグタイムス Vol.20 7月1日 ブブゼラの音は風に乗って

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7月1日 ブブゼラの音は風に乗って

 ブブゼラを買いに出かけた。昨日、日本からの電話取材で新聞記者の人と話していたら、日本では岡田ジャパンの活躍で盛り上がっている一方、とにかくブブゼラという奇妙な音でスタジアムを覆い尽くす、その話題も持ちきりだと言っていた。アフリカの地での日本チームの活躍がブブゼラを南アフリカの象徴として好意的に受け取っているのだろう。
 ならば、オフィシャルグッズでこれという土産がな

 

かったので、ここはベタにブブゼラでいきますか、とホテルから歩いて15分ほどのセンチュリオンショッピングセンターにブブゼラをお土産にと買いに出かける。6日前にパラグアイのマッチフラッグを作るための布を買いに来たあたりだ。

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 日本チームがジョージから引っ越してきて、パラグアイ戦が行われたプレトリアで滞在したセンチュリオンレイクホテルが湖を挟んで向かいに見える。選手たちは、戦のあとはどうしていたのであろうか?次の試合のことを考えなくてよくなった瞬間、無念な気持ちはやがて、その結果を受け入れ帰国する自分の姿を想像することができるようになっていき、今までとは違う時間が流れ出したことであろう。そんな時がセンチュリオンレイクホテルであったことであろう。もう1回試合をしたいけれど・・・。
 湖畔にある遊園地では、家族連れたちがのんびり時間を過ごしている。子供たちが回転ブランコに興じている。回転するスピードが最高潮になり、その声は絶叫となる、しかし徐々に速度が落ち、ロープで吊るされたブランコの角度も弱まってくる。声は速度とともに収まっていく。回転ブランコは停止し、子供たちが降りてきて親の元に帰っていく。

 

 昨日の午後までは、そこのホテルにいたのに、今はもういない。みな帰っていった。
 「もう一回乗りたい」と、子供の声が聞こえた。その声はこの地で最後の試合を終えた日本チームの「もう1試合したい」という声にも聞こえた。子供も同じ、人間はそういうものである。だから成長するのである。
 湖面に西日が差しこんでいる。丁度今頃日本チームは関空に到着しているころである。日本チームの現場は日本に移った、もうここではない。

店先で画を描いていた少年

 日本チームがいない南アフリカは日本サポーターにとって緊張感がない。だからこうしてお土産を買いにきている気分にもなれているということである。ショッピングセンターの入り口の屋台風店先で絵を描いている少年に会った。写真を見ながら写実的に鉛筆で書き写している。「どこで習ったの?」と聞くと「神様から貰った贈り物なんだ」と答えた。そうやって言い切れる裏には、これで生きていくんだという強さがあった。与えられたもので精一杯生きていく。生きる術の選択肢が多くはないから。

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 ブブゼラ買いました。ホテルまでの帰り道に、歩きながら吹いてみる、すぐには上手く吹けないが、要領をつかめば「ブオーーン」と大きな音が出る。4,5回鳴らすと、もう出来た、ということですぐ飽きる。そんなものだ、所詮おみやげなんて、もの珍しさで飛びつくのだが、引きも早いのがお決まりのパターンである。

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 しかしちょっとブブセラの不思議なところは、そのあとである。飽きたはずなのに、何故かまた吹きたくなる衝動がおこるのである。「ブオーン。ブオーン」とまた吹いてしまった。カルロスも「ブオーン。ブオーン」。道端の店のおじさんが。その音を聞いて、サムアップをしてこっちを見て笑っている。ブブゼラを吹くということは地元民にとっては南アフリカを受け入れているという印のようである。しかし吹いているほうは、別段そうでもなく、ただまた吹きたくなるのである。何かおしゃぶりのようなものなのか?口が吹いた時の感触をまた欲しがるのである。そんなブブゼラ初心者の二人のブオーンブオーンはホテルまで続いた。その音は乾いた大地によく響き渡っている。どこまでも遠くにその音は届きそうである。海を越えて、遥か水平線の向こうの日本に帰った岡田JAPANまでも届きそうである。

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 ホテルのラウンジに置かれたままになっていたオランダとデンマークのマッチフラッグをキャリアバッグに片付け始める。

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 その行為はこちらに来る前に東京のHIBINO SPECIALで行っていた行為と全く同じである。しかし違っていることがひとつある。それは、このマッチフラッグに縫いつけられている日付が、何度でも振り返りたいよき想い出のある日になったということである。東京で詰め込んでいる時は、日本で作ったみんなの気持ちを大切にしながら、ひとつひとつ紐で束ねてカバンに詰めていたが、今はそれにプラスして、南アフリカの地で日本チームと供に戦った事実がこのマッチフラグに加わった。その分フラッグはずっしりと重みを増していた。その様子をMATCH FLAG TVで放送した。

マッチフラッグの役割は3つある。ひとつは試合が行われる日までの想いを形にする表現行為。二つ目は試合当日にスタジアムで掲げてチームに気持ちを伝える伝達行為。そして三つ目が、あの時のことをみんなで想い出すという想像行為である。
 「MATCH FLAG PROJECT SOUTHAFRICA 2010」は三つ目の活動へと移っていく。日本にマッチフラッグが帰ってから、今の時点で2か所でのマッチフラッグの展示が決まっている。
 日が陰り始めたころマッチフラッグもなんとかバッグにおさまり、帰途への準備が完了した。MFTVも29日のVの振り返りコメントも放送し、回線を切り終了する。

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 マッチフラッグの南アフリカでの活動終了の報告と今後の国内での活動の確認をしにサッカー協会の犬飼会長・松田広報部長と会う。会長は2022年のワールドカップ日本招致の関連で、チームとは別にこちらに残っている。「日本ではワールドカップ南アフリカ大会で盛り上がっているからその勢いで招致も行きたいね」と犬飼会長。そんな話をしていたらFIFA副会長プラティニさんが通りがかった。犬飼会長を見つけて「日本はいい試合だった、がっかりすることは何もない」と日本チームを称える言葉をかけていた。将軍プラティに私も声をかけ一枚記念に写真を撮った。南アフリカの最後の夜は更けていった。


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(文責:日比野克彦)

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 Vol.16 [6月27日 ケーナーコー(ついにその時が来た!)] 
 Vol.17 [6月28日 太宰府で制作したマッチフラッグが到着] 
 Vol.18 [6月29日 明日へ] 
 Vol.19 [6月30日 楽日は次につながる初日である] 

 

日比野克彦

hibino3

[ 10.07.01 09:26 ]ご声援ありがとうございました

6月29日のパラグアイ戦は、0-0からPKとなり、惜しくもベスト8進出はなりませんでした。
チームは試合終了後、ホテルに戻って一泊し、30日の午前にバスでヨハネスブルグに移動。昼過ぎの飛行機で日本に向かいます。
帰国後は、岡田監督、全選手が出席し、記者会見を行った後、解散になります。
5月21日に埼玉に集合して以来、40日にわたる長いツアーでした。
日本を離れて約1か月。日本ではワールドカップの話題で盛り上がっていると聞いていますが、日本の報道を見ることができなかった我々には正直、実感がわきません。もしこのチーム全員の頑張りが日本の皆さんに何かを伝えることができたならば、こんなにうれしいことはありません。
大会も残り10日。日本のファンの皆さまには是非、世界トップの闘いを見てサッカーの楽しさ、素晴らしさを確認していただいた後、再開されるJリーグで、また海外各国のリーグ戦を戦う日本代表戦士、さらには日本代表をめざす日本中のサッカープレーヤーに声援を送っていただきたいと思います。
サムライブルークロウを折っていただいた皆さま、またメールやツイッターでメッセージをいただいた皆さま、パブリックビューイングで、テレビの前で声援を送っていただいた皆さまの声はここ南アフリカで戦うチームの背中を押してくれました。本当にご声援ありがとうございました。

(日本代表チームスタッフ)

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